この記事の要点は、研究者が自身のPC上にAI開発環境を構築するメリットと、その実現に向けた4ステップのロードマップです。クラウドにはない「試行錯誤の自由」と「絶対的なデータセキュリティ」を手に入れ、研究を加速させるための一歩を踏み出しましょう。
1. 創造性の解放: コストを気にせず、納得いくまで自由に試行錯誤できる。
2. 絶対的な安心感: 貴重な医療データを外部に出さず、最高レベルのセキュリティを確保。
3. 賢明なコスト管理: 初期投資のみで、長期的なランニングコストを大幅に削減。
4. 本質的なスキル習得: 環境構築を通じ、AIの仕組みを肌感覚で深く理解できる。
GPU選定 (AIの心臓部):
何よりもVRAM容量(作業机の広さ)が重要。扱うデータ(2D/3D画像、言語モデル等)に応じて、16GB〜48GB以上を目安に選択する。
OS戦略 (開発の土台):
普段使いのWindowsと共存できる「WSL2」か、AI開発の標準で安定性に優れる「Ubuntu (Linux)」か。自身のワークスタイルに合わせて決める。
論文執筆や研究を加速させる「自分だけのAIラボ」の作り方
医療の最前線でご活躍の研究者や臨床家の皆さん、日々の業務や研究の中で、AI(人工知能)の持つ可能性に心惹かれる瞬間はありませんか? 画像診断の精度向上、新薬開発の劇的なスピードアップ、そして個別化医療の実現。AIはもはや未来の技術ではなく、私たちの研究や臨床を根底から変えうる、強力なツールとして存在感を増しています。
「この膨大な論文の海から、誰も気づいていない新しい知見をAIで発見できないだろうか」「手元にある貴重な臨床データに眠る未知のパターンを、自分の手で解き明かしてみたい」。そんな熱い思いを抱きながらも、何から手をつければ良いのか分からず、もどかしい思いをされているかもしれませんね。
この記事では、そんな皆さんのための「自分だけのAI研究室」、すなわち個人のPC(ワークステーション)上に本格的な開発環境をゼロから構築するための、確かなロードマップを提示します。その中でも今回は、全ての土台となる、最も重要と言っても過言ではない最初のステップ、「計画と機材選定」に焦点を当て、その考え方の核心をじっくりと解き明かしていきます。
ボタン一つで高度なAIを利用できるクラウドサービスは、確かにとても便利です。しかしその一方で、その手軽さの裏側で、月々の思わぬコストに頭を悩ませたり、厳格なデータセキュリティポリシーとの間で板挟みになったりした経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
手元に自分だけの開発環境、いわば「思考の実験室」を持つこと。それは、コストを気にせず夜通しアイデアを試せるという「自由」、患者さんの大切なデータを誰の目にも触れさせないという「絶対的な安心感」、そしてAIというブラックボックスの中身を自分の手で触れながら理解していく「深い学び」を意味します。私自身も、多くのプロジェクトでこの「手元の環境」に何度も助けられてきました。
この記事を読み終える頃には、ご自身の研究テーマや目的にとって最適なAI開発環境とは何か、そのための明確な地図が手に入っているはずです。
ただし、一つだけご理解いただきたいことがあります。この記事でお届けするのは、壮大な旅の全体図、いわば「世界地図」です。どのGPUが最適か、どうやってOSをインストールするのかといった、具体的な「航海術」については、今後の記事で一つひとつ、じっくりと解説していきますのでご安心ください。まずはここで全体像を掴み、ワクワクするAI開発の世界へ、確かな一歩を一緒に踏み出しましょう。
なぜ今、個人向けAI開発環境が必要なのか?
クラウド全盛時代にあえて「手元」にこだわる理由
「AI開発なんて、巨大な計算センターや高額なクラウド契約がないと無理でしょう?」――少し前まで、それは紛れもない事実でした。しかし、時代は大きく変わりました。近年の驚異的なハードウェアの進化、特にGPU(Graphics Processing Unit)の性能向上と低価格化によって、かつては夢物語だった「個人の研究室レベルでのAIモデル開発」が、今や現実的な選択肢となっています。
もちろん、クラウドサービスの手軽さとスケーラビリティは大きな魅力です。しかし、研究という創造的なプロセスにおいては、あえて「手元に開発環境を持つ」ことが、他では得られない決定的なアドバンテージを生み出すことがあります。その理由を、4つの視点から紐解いていきましょう。
1. 創造性を解き放つ「試行錯誤の自由」
深夜にふと閃いたアイデアを、熱いコーヒーを片手にすぐに試せる。そんな環境を想像してみてください。クラウドの利用時間やコストのメーターを気にすることなく、納得がいくまで何度でもモデルを再学習させ、パラメータを調整し、失敗を繰り返せる。この制約のない試行錯誤の自由こそが、予定調和の結果を超えた、思わぬ発見(セレンディピティ)を生み出す土壌となります。研究とは、まさにこのトライ&エラーの繰り返しの中に本質があるのではないでしょうか。
2. 倫理と信頼の礎となる「絶対的なデータセキュリティ」
私たちが扱う医療データは、単なる情報の集合ではありません。それは、一人の人間の人生そのものであり、最大限の敬意と配慮をもって扱われるべきものです。患者さんのプライバシーは、私たちの研究倫理の根幹を成します。個人向け開発環境(オンプレミス)は、貴重なデータを外部のサーバーに一切送信することなく、物理的な壁に守られた、いわば最も堅牢な金庫の中で安全に管理・分析することを可能にします。これは、個人情報保護法や各種倫理指針を遵守する上で、技術的に最も明確かつ安心な答えの一つと言えるでしょう。
3. 先を見通す「賢明なコスト管理」
「使った分だけ支払う」というクラウドの従量課金モデルは、一見すると合理的です。しかし、大規模なモデルの学習や、長期間にわたる実験では、そのコストが青天井になるリスクを常に伴います。まるでタクシーのメーターのように、試行錯誤のたびに増えていく料金に、ハラハラした経験はありませんか?
初期投資は確かに必要ですが、一度環境を構築してしまえば、あとは電気代だけで済みます。頻繁にAI開発を行うのであれば、結果的に総コストを大幅に抑えられるケースも少なくありません。この初期投資は、未来の研究活動をコストの心配から解放するための「賢明な投資」と捉えることができるかもしれません。
4. ブラックボックスを開ける「本質的なスキル習得」
クラウドサービスが提供する便利なツールは、AI開発のプロセスを「ブラックボックス」化してしまう側面もあります。しかし、自分の手でハードウェアを選び、OSを設定し、ライブラリの依存関係に悩みながら環境を構築するプロセスは、AIが「どのように動いているのか」を肌感覚で理解する絶好の機会です。なぜエラーが起きたのか、どうすればパフォーマンスが向上するのか。このトラブルシューティングの経験を通じて得られる本質的なスキルは、将来的に論文でAIモデルの挙動を説明する責任(XAI: Explainable AI)を果たす上で、あるいはチームでより複雑な開発に挑む上で、大きな自信と武器になります。
これら4つのメリットが組み合わさった時、あなたの研究は新たなステージへと進むでしょう。例えば、
- ご自身の専門領域のレントゲン写真や病理組織画像をAIに学習させ、診断を補助するカスタムモデルを開発する。
- 膨大な電子カルテのテキストデータから、特定の薬剤に対する副作用の兆候を早期に発見するアルゴリズムを構築する。
- 複雑なゲノムやプロテオームのデータから、疾患に関連する新たなバイオマーカー候補を探索する。
といった研究テーマが、もはや夢物語ではなく、あなたのデスクの上で実現可能な目標になるのです。
医療AI開発環境構築の全体像:信頼できる「地図」を手に入れる4つのステップ
さて、ここからは自分だけのAI開発環境をゼロから構築していくわけですが、壮大な山を登るためには、まず信頼できる地図と登山計画が必要ですよね。闇雲に歩き始めても、道に迷ってしまうだけです。AI開発もそれと全く同じで、最初に全体の工程、つまりロードマップをしっかりと頭に入れておくことが、成功への何よりの近道となります。
プロセスは、大きく分けて以下の4つのステップに分けることができます。一つ一つのステップがどのように連なっているのか、まずはこの図で全体像を掴んでみてください。
少し専門的な言葉が出てきましたが、心配はいりません。それぞれのステップがどんな役割を持っているのか、もう少し詳しく見ていきましょう。
ステップ1:設計図を描く「計画と機材選定」
これは、家づくりで言えば設計図を描き、土地を選ぶ段階です。ご自身の研究目的(例えば、3DのCT画像を扱うのか、それともテキストデータを扱うのか)を達成するためには、どれくらいの計算パワーが必要なのかを見積もります。そして、その心臓部となるGPUや、開発作業の土台となるOS(Windowsにするか、Linuxにするかなど)を決定します。ここでの選択が、後のすべてのステップに影響を与える、非常に重要な最初の分かれ道です。
ステップ2:ベースキャンプを築く「OSとドライバのセットアップ」
機材が決まったら、次はそのPCがAI開発ツールをきちんと扱えるように、「ベースキャンプ」を設営する作業に入ります。選んだOSをPCにインストールし、GPUの能力を100%引き出すための専用ソフトウェア(ドライバ)を導入します。このステップは、環境構築における最初の、そして最大の関門とも言われています。ここでつまずいてしまう方も少なくないのですが、この先の記事で丁寧にガイドしますので、ご安心ください。ここを乗り越えれば、一気に視界が開けます。
ステップ3:専門道具を揃える「プログラミング環境の構築」
ベースキャンプの準備が整ったら、いよいよAIモデルを作るための専門的な道具を揃えていきます。現在のAI開発の標準言語であるPythonや、その中でも特に強力なライブラリであるPyTorchなどをインストールします。さらにここでは、科学的な検証に不可欠な「再現性」を担保するため、「仮想環境」という極めて重要なコンセプトを学びます。これは、研究プロジェクトごとに専用の汚れない道具箱を用意するようなもので、複数の研究が互いに干渉しあうのを防ぎます。
ステップ4:登山ルートを拓く「効率的な開発スタイルの確立」
最後の仕上げとして、日々の開発作業を快適かつ効率的に進めるための究極の仕事術を身につけます。具体的には、VS Codeという高機能なツールを使いこなし、パワフルな計算マシンと手元のPCを分離して遠隔操作する「リモート開発」というスタイルを目指します。これはまるで、麓の快適なロッジにいながら、山頂付近で作業する高性能なロボットを操縦するようなものです。これにより、騒音や熱を気にすることなく、集中して研究に没頭できる環境が手に入ります。
これらの4つのステップを経て、あなただけのAI開発ラボは完成します。以降のセクションでは、この地図の最初の目的地である「ステップ1:計画と機材選定」について、さらに詳しく解説していきます。
ステップ1:計画と機材選定 – すべての礎を築く最重要フェーズ
どのような家を建てるにも、まずしっかりとした設計図と土地選びが欠かせません。設計図が曖昧なまま家を建て始めると、後で必ず構造的な問題が起きるように、AI開発環境の構築においても、この最初の「計画」が成否の大部分を決定づけてしまいます。ここは後からの修正が最も難しい部分ですので、じっくり時間をかけて、ご自身の目的に合った最適な選択をしていきましょう。
このステップでは、特に重要な「GPU選定」と「OS戦略」という2つのポイントについて解説します。
1. GPU選定:AI研究の心臓部を選ぶ
GPUとは? なぜAI開発に不可欠なのか?
GPU(Graphics Processing Unit)は、もともとその名の通り、PCゲームなどのグラフィックスを描画するための専門パーツでした。しかし、その内部構造が、AI、特に深層学習の計算と驚くほど相性が良かったため、今やAI研究に不可欠な存在となっています。
CPUが少数の優秀なエリートで複雑な指示を次々とこなす「司令塔」だとすれば、GPUは単純作業を驚異的な人数で一斉にこなす「専門スタッフ集団」に例えられます。深層学習の「学習」とは、入力されたデータ(例えば、大量のレントゲン画像)に対して、モデル内の何百万、何千万というパラメータ(重み)を少しずつ調整し、正しい答えを導き出すパターンを見つけ出す作業です。これは、無数の単純な行列計算の繰り返しに他なりません。この「単純作業の繰り返し」こそ、GPUが最も得意とするところなのです (1)。
例えば、医用画像をAIが処理する際、内部では画像はピクセルの輝度値を並べた巨大な「数値の配列(テンソル)」として扱われます。AIモデル(畳み込みニューラルネットワークなど)は、このテンソルに対してフィルター(これもまた数値の配列)を掛け合わせる、という膨大な行列計算を行います。これをGPUは並列処理で一瞬にして片付けてくれるのです。
最重要指標VRAM:「作業机の広さ」を確保する
GPUを選ぶ上で、おそらく最も重要な指標となるのがVRAM(Video RAM)の容量です。これは、GPUが計算を行うために必要なモデル本体や学習データを一時的に置いておくための、いわば「作業机の広さ」です。どんなに優秀な料理人(GPUの計算コア)がいても、調理台(VRAM)が狭ければ、大きな魚(大規模データや高解像度画像)を捌くことはできませんよね。VRAMが不足すると、学習プロセスは無情にもエラーで停止してしまいます。これはAI開発で誰もが一度は経験する、最も根本的な問題の一つです。
ご自身の研究テーマでどれくらいのVRAMが必要になるのか、以下の表で大まかな目安を確認してみましょう。
| 研究の目的 | 典型的なタスク | 推奨VRAM | なぜその量が必要か(一言解説) |
|---|---|---|---|
| 時系列データ解析 | 心電図(ECG)・脳波(EEG)の分類など | 8GB ~ 16GB | データサイズは比較的小さいが、モデルの複雑さやバッチサイズによって変動。 |
| 2D医用画像解析 | レントゲン・病理組織の分類、セグメンテーション | 16GB ~ 24GB | 高解像度画像や、大きなデータセットを一度に扱うため、相応の容量が必要。 |
| 3D医用画像解析 | CT/MRIを用いた3D-Unetなどでの高度な解析 | 24GB ~ 48GB以上 | 3次元データは情報量が爆発的に増えるため、大容量VRAMがほぼ必須となる。 |
| 自然言語処理 | 電子カルテのテキスト解析、LLMの微調整 | 24GB ~ 48GB以上 | 大規模言語モデル(LLM)はモデル自体が巨大で、非常に多くのVRAMを消費する。 |
VRAM以外の隠れた実力者たち
VRAM容量はもちろん最重要ですが、それ以外にもGPUの性能を左右する要素があります。
- メモリ帯域幅 (Memory Bandwidth): VRAMという「作業机」と、PCのメインメモリという「冷蔵庫」との間で、データをどれだけ速くやり取りできるかを示す値です。これが広いほど、大規模なデータセットの読み込みが速くなり、学習全体の時間が短縮されます。
- 低精度計算への対応 (FP16/BF16/FP8): 計算の「細かさ」を表す指標です。FP32という形式が標準的な精度ですが、AIの学習においては、少し精度を落とした(大雑把にした)FP16などの形式で計算しても、最終的なモデルの性能にほとんど影響がないことが分かっています。この「手加減」をすることで、計算速度を劇的に向上させ、VRAMの使用量も抑えることができます (3)。近年のGPUはこの低精度計算への対応が強化されています。
なぜNVIDIAが標準なのか?:「CUDA」という見えざる資産
市場には様々なメーカーのGPUがありますが、ことAI開発においては、特別な理由がない限りNVIDIA製のGPU(GeForce RTXシリーズやNVIDIA RTXシリーズ)を選ぶのが現在の最適解と言えます。これは、ハードウェアの性能もさることながら、CUDAというNVIDIAが長年提供してきた開発プラットフォームの存在が非常に大きいのです。CUDAは、GPUの並列計算能力をAI開発で最大限に引き出すためのソフトウェア、ライブラリ、ツールの集合体(エコシステム)です。世界中のAI研究者や開発者がこのCUDAをベースにツールを開発しているため、情報量、安定性、互換性の面で他社を圧倒しているのが現状です。
2. OS戦略:開発の土台となる「大地」を決める
パワフルなエンジン(GPU)を選んだら、次はそのエンジンを載せる頑丈な車体、すなわちOS(オペレーティングシステム)を選びます。OSはコンピュータ全体のハードウェアとソフトウェアを管理する最も基本的な土台です。ここでは、現実的な2つの選択肢を比較検討してみましょう。
| 選択肢A: Windows + WSL2 | 選択肢B: Ubuntu (Linux) | |
|---|---|---|
| コンセプト | 普段使いのWindowsに「Linuxの部屋」を増築する | AI開発の「公用語」が話されている国に住む |
| メリット | ・Windowsアプリ(Office, etc.)と共存可能 ・普段の操作感から離れずに済む ・両OSの長所を活かせる | ・AIツールの互換性が最も高い ・安定性とパフォーマンスに優れる ・Web上の情報やコミュニティが豊富 |
| 注意点 | ・初期セットアップに若干の知識が必要 ・ファイルシステムの相互アクセスで稀に問題 | ・コマンドライン操作に慣れが必要 ・一部のWindows専用ソフトは動かない |
| こんな方に | 「論文執筆もAI開発も、一台で完結させたい」 | 「AI開発に特化した、最も安定した環境が欲しい」 |
選択肢Aを深掘り:Windows + WSL2 (Windows Subsystem for Linux 2)
これは、Windowsという使い慣れた家の「離れ」に、本格的なLinuxの部屋を増築するようなイメージです。Microsoftが公式に提供しているこの仕組みを使えば、Windowsを起動したまま、その上でUbuntuなどのLinux環境を非常に高いパフォーマンスで動かすことができます。論文執筆でWordを使いながら、隣のウィンドウでLinuxのコマンドを叩いてAIを学習させる、といったシームレスな連携が可能です。
選択肢Bを深掘り:Ubuntu (Linux)
こちらは、PC全体をAI開発の世界標準OSであるUbuntu専用機にする方法です。AI関連のツールやライブラリの多くは、元々このLinux環境で開発・テストされています。そのため、互換性の問題が最も起きにくく、「環境構築で余計な悩みなく、本質的な研究に集中したい」という方には最適な選択肢です。最初はコマンドを打ち込む黒い画面に戸惑うかもしれませんが、一度その強力さに慣れてしまえば、マウス操作より遥かに速く、正確に作業を進められるようになります。これは研究者として一生モノのスキルになると、個人的には思います。
どちらのOSが絶対的に優れている、というわけではありません。これは技術的な優劣というより、むしろご自身の「ワークスタイル」や「哲学」の選択に近いかもしれません。ご自身のPCスキルや、論文執筆など他の作業とのバランスを考えて、納得のいく一台の設計図を完成させてください。
ステップ2〜4の概要:設計図からラボ完成までの道のり(予告編)
さて、ステップ1で完璧な設計図(計画と機材選定)が完成したら、いよいよ実際の建築工事、つまりPCのセットアップ作業に入っていきます。ここからの3つのステップは、今後の記事で一つひとつ、コマンドレベルまで掘り下げて解説する内容の、いわば「予告編」です。これからどんな道のりが待っているのか、まずは気軽に眺めてみてください。
ステップ2:インフラを整える「基礎工事」(OS・ドライバ)
家づくりで言えば、選んだ土地(PC)に土台となるコンクリート(OS)を流し込み、電気や水道(ドライバ)を引き込む、最も基本的な工事です。選んだOS(UbuntuやWindows+WSL2)をPCにインストールし、次に、この環境構築の主役であるGPUに「AI開発者として働きなさい」と命じるための専用ソフトウェア、「NVIDIAドライバ」を導入します。
正直にお伝えすると、この工程は環境構築全体で最もつまずきやすい、最初の大きな山場かもしれません。しかし、ご安心ください。この講座のガイド通りに手順を踏めば、必ず乗り越えられます。最終的に、ターミナル(黒いコマンド入力画面)で nvidia-smi という魔法の呪文を唱え、以下のようなGPUの情報がズラリと表示されたら、成功の狼煙です。この画面が表示された瞬間は、思わずガッツポーズが出ること請け合いですよ。
+-----------------------------------------------------------------------------+
| NVIDIA-SMI 515.65.01 Driver Version: 515.65.01 CUDA Version: 11.7 |
|-------------------------------+----------------------+----------------------+
| GPU Name Persistence-M| Bus-Id Disp.A | Volatile Uncorr. ECC |
| Fan Temp Perf Pwr:Usage/Cap| Memory-Usage | GPU-Util Compute M. |
| | | MIG M. |
|===============================+======================+======================|
| 0 NVIDIA GeForce ... Off | 00000000:01:00.0 Off | N/A |
| 30% 35C P8 25W / 350W | 2MiB / 24576MiB | 0% Default |
| | | N/A |
+-------------------------------+----------------------+----------------------+
ステップ3:専門の研究室を設える「内装工事」(Python・仮想環境)
家の骨格とインフラが整ったら、次はキッチンや書斎といった、具体的な部屋の内装工事に入ります。AI開発の世界では、Pythonというプログラミング言語が共通語であり、いわばキッチンのような基本設備です。そして、PyTorch (2) のような深層学習フレームワークは、高性能なオーブンやミキサーといった最新の調理器具にあたります。これらをインストールし、いつでも使える状態にするのです。
しかし、ここで非常に重要なのが「仮想環境」という考え方です。これは、研究プロジェクトごとに、完全に独立した専用のキッチンを用意するようなものです。なぜなら、Aという料理(プロジェクトA)で使った特殊なスパイス(ライブラリAのバージョン1.0)が、繊細な和食(プロジェクトB)の味を壊してしまう(ライブラリBが動かなくなる)ことがあるからです。この「環境の衝突」を防ぎ、「自分のPCでは動いたのに、共同研究者のPCでは動かない」といった、科学の世界で最も避けたい事態を防ぐ。仮想環境は、研究の「再現性」を担保するための、プロフェッショナルの作法なのです。
ステップ4:最高の書斎を創る「最終仕上げ」(VS Code・リモート開発)
最後に、日々の研究活動の拠点となる、快適で知的な書斎を完璧に仕上げていきます。パワフルなGPUを搭載したワークステーションは、全力で稼働するとそれなりの騒音と熱を発します。研究に没頭したいのに、隣で掃除機がずっと鳴っているような状況は避けたいですよね。
そこで本コースが標準ゴールとするのが、「リモート開発」という未来的なワークスタイルです。
- 計算マシン(GPUワークステーション): 騒音や排熱を気にしなくて済むよう、少し離れた場所に「計算専用サーバー」として設置します。
- 作業用PC(手元のノートPCなど): そして自分は、静かで快適なリビングのソファから、お気に入りのノートPCでそのサーバーマシンにSSH(Secure Shell)という、誰にも覗き見られない「秘密の地下通路」で接続します。
- 開発ツール(VS Code): 手元のPCで動いている高機能エディタ「Visual Studio Code」が、その通路を通って、まるで自分の手元にあるかのように、遠くのマシン上のファイルを編集し、プログラムを実行してくれるのです。
この環境を構築することで、場所を選ばずに、静かで快適な空間から、パワフルな計算リソースを自在に操ることができるようになります。これこそ、研究に没頭するための最高の知的生産環境と言えるでしょう。
まとめと次のステップ
今回は、医療AI開発のための個人向けワークステーション構築における全体像と、その第一歩である「計画と機材選定」の重要性について解説しました。
- 手元の開発環境は、自由な試行錯誤とデータセキュリティの観点から大きな価値を持ちます。
- 環境構築は4つのステップ(計画→OS/ドライバ→Python環境→開発スタイル)で進めます。
- 計画段階では、研究目的に合わせたGPU(特にVRAM)の選定と、自身のスキルに合わせたOS戦略が鍵となります。
この記事でご自身のAI開発環境の設計図が描けたら、いよいよ実践です。今後の記事では、今回ご紹介した各ステップについて、具体的な製品やコマンドを交えながら、ハンズオン形式で詳しく解説していきます。
最終的には、単にツールを導入するだけでなく、科学的検証に耐えうる「再現性のある開発環境」を構築し、みなさんの研究を加速させることを目指します。

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引用文献
- NVIDIA Corporation. NVIDIA CUDA-X: End-to-End Acceleration for AI and HPC. 2020. [Online]. Available: https://www.nvidia.com/en-us/technologies/cuda-x/
- Paszke A, Gross S, Massa F, Lerer A, Bradbury J, Chanan G, et al. PyTorch: An Imperative Style, High-Performance Deep Learning Library. In: Wallach H, Larochelle H, Beygelzimer A, d’Alché-Buc F, Fox E, Garnett R, editors. Advances in Neural Information Processing Systems 32. Curran Associates, Inc.; 2019. p. 8024–8035.
- Micikevicius P, Narang S, Alben J, Diamos G, Elsen E, Garcia D, et al. Mixed Precision Training. In: International Conference on Learning Representations (ICLR). 2018. [Online]. Available: https://arxiv.org/abs/1710.03740
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