「相関」と「因果」を見分けるための強力な思考ツール、DAGとSCMを学びましょう。これらのツールを使えば、複雑なデータの中から真の関係性を見抜き、より良い意思決定を行うための「因果の地図」を描けるようになります。
「アイスクリームが売れると溺死者が増える」という相関は有名です。もちろん、アイスが原因ではありません。裏には「気温」という共通の原因(交絡因子)が隠れています。臨床現場もこうした見せかけの相関で溢れています。
頭の中にある因果の仮説を「点(変数)」と「矢印(→)」で描く共通言語です。複雑な関係性を可視化し、交絡などのバイアスの構造を一目で理解できるようにします。これにより、分析前に思考を整理できます。
DAGで描いた見取り図の裏側にある「仕組み」を、具体的な方程式で記述するモデルです。「もし介入したらどうなるか?」といったシミュレーションを可能にし、因果効果の大きさを定量的に推定する強力なエンジンとなります。
「アイスクリームが売れると、溺死者が増える」🍦➡️🌊。
この奇妙な相関関係は、因果推論を学ぶ際に誰もが一度は耳にする、あまりにも有名な例え話です (Pearl & Mackenzie, 2018)。もちろん、アイスクリームが人を溺れさせるわけではないことは、私たちの直感ですぐにわかります。その裏には「気温の上昇」という、両者を同時に動かす共通の原因(交絡因子)が隠れているだけですよね。
しかし、この話は笑い話では終わりません。私たちの臨床現場は、これよりも遥かに複雑な「見せかけの相関」で溢れています。
「新しい治療薬を使った患者群は、予後が悪いように見える…」
「特定の生活習慣を持つ人々は、ある疾患の罹患率が低い…」
そのデータを見て、私たちは瞬時に問いを立てます。「それは、本当にその薬のせいだろうか?」「その生活習慣が本当に健康をもたらしているのだろうか?」「もしかしたら、患者の年齢、重症度、社会的背景といった、目に見えない要因が結果を歪めているだけではないか?」
こうした問いが頭の中を駆け巡り、何が原因で、何が結果で、何が交絡なのか、思考がごちゃごちゃになってしまう…。そんな経験は、きっと誰にでもあるはずです。
もし、その頭の中の複雑な絡まりを解きほぐし、誰が見ても同じように理解できる、一枚のクリアな「因果の地図」に描き出す方法があるとしたら、素晴らしいと思いませんか?
実は、あるんです。
それを可能にするのが、今回ご紹介する構造的因果モデル(Structural Causal Model, SCM)と、それを視覚的に表現するDAG(有向非巡回グラフ)という、現代の因果推論における超強力なツールなのです。さあ、一緒にその使い方を学んでいきましょう。
ヒーロー登場!ジュディア・パールと「因果の設計図」
さて、ここからが本題です。これまで統計学の世界では、「相関は因果を意味しない」という言葉が、まるで鉄の掟のように君臨していました。統計学の父とも呼ばれるカール・ピアソン以来、多くの統計家はデータから「因果」を語ることに非常に慎重だったんです。データが示すのはあくまで関連性であり、その背後にある「なぜ?」に踏み込むのは科学の領域ではない、と。なんだか、少しもどかしい感じがしますよね。
この長年の停滞に風穴を開け、因果推論の世界に革命をもたらしたのが、今回ご紹介するジュディア・パール(Judea Pearl)です。
彼のバックグラウンドが面白いところで、彼は伝統的な統計学者ではなく、人工知能(AI)の研究者でした。パールは考えました。「人間に近いAI、つまり本当に『考える』機械を作るには、単に関連性を学習するだけでは不十分だ。人間のように、物事の因果関係を理解し、『もし、こうしたら、どうなるだろう?』と予測できる能力が必要不可欠だ」と。
例えば、私たちが「部屋のスイッチを押せば、電気がつく」と理解しているのは、スイッチと点灯の間に「因果関係」を見出しているからです。この当たり前の思考を、どうすればAIに教えられるか?この問いこそが、彼の革命の出発点でした。
そこで彼が編み出したのが、私たちの頭の中にある因果の直感を、誰でも共有できる「言葉」と「図」で表現する統一的なフレームワークでした。それが、構造的因果モデル(SCM)と、それを視覚化したDAG(有向非巡回グラフ)です。
- DAGは、いわば因果関係の「見取り図」です。どの要因が、どの要因に影響を与えているのか、その構造を矢印でシンプルに描き出します。これにより、複雑な関係性も一目瞭然になります。
- SCMは、その見取り図の裏側にある「物理法則」のような数式です。DAGが「何と何が繋がっているか」を示すのに対し、SCMは「どのように繋がっているか」を具体的に記述します。
この功績は、「確率的および因果的推論のための計算論を発展させたことによる、人工知能への根源的な貢献」として認められ、彼は2011年に計算機科学のノーベル賞とも言われるチューリング賞を受賞しました。
パールが提唱したSCMとDAGは、まさに「物事の因果関係を書き出すための設計図」なんです (Pearl, 2009)。この設計図があれば、複雑に絡み合った要因たちの関係性が整理され、「どこに介入すれば、望む結果が得られるのか?」という、因果関係の核心に迫る問いに答えるための道筋が見えてきます (Pearl & Mackenzie, 2018)。
さあ、前置きが長くなりましたが、このパワフルな設計図の描き方を、さっそく学んでいきましょう!
DAG:因果関係を「絵」にする魔法 🗺️
さて、いよいよ因果関係の「設計図」の描き方を学びます。その名もDAG(ダグ)。これは有向非巡回グラフ(Directed Acyclic Graph)の略語で、なんだか難しそうな名前ですが、安心してください。ルールは驚くほどシンプルで、一度理解すれば、臨床研究の論文を読むときや、ご自身の研究計画を立てるときの見通しが、劇的に良くなるはずです。
DAGは、私たちの頭の中にある「この変数が、あれに影響しているはずだ」という因果に関する仮説(assumptions)を、視覚的に表現するための共通言語です。まずは、その文法の基本から見ていきましょう。
DAGを構成する2つの要素:ノードとエッジ
DAGは、2種類のパーツでできています。
- ノード(Nodes): 「点」で表され、私たちの関心事である変数(要因)が入ります。例えば、「喫煙」「年齢」「肺がんの発症」といった、物語の登場人物だと考えてください。
- エッジ(Edges): 「矢印(→)」で表され、ノード間をつなぎます。これは、ある登場人物から別の登場人物への直接的な影響、つまり因果関係を示します。
DAGの絶対的なルール:「有向」かつ「非巡回」
そして、この登場人物と矢印で物語を描く上で、守らなければならない重要なルールが2つあります。それが「有向」と「非巡回」です。
1. 有向(Directed):矢印の向きがすべてを決める
DAGの矢印は、単なる線ではありません。必ず原因から結果に向かう、一方通行の道です。A → B と描いたなら、それは「AがBの原因である」という強い仮説を表明したことになります。逆は真ならず、です。
例えば、「降水量 → 地面の濡れ」は正しい因果の向きですよね。しかし、「地面の濡れ → 降水量」という逆の矢印は描けません。地面が濡れているからといって、それが原因で雨が降ることはないからです。この時間の流れに逆らわない、厳格な方向性こそが、DAGの「有向性」の核心です。
2. 非巡回(Acyclic):タイムトラベルは禁止
「非巡回」とは、矢印をたどっていったときに、出発点に絶対に戻ってこない(ループがない)ということです。
なぜループが禁止なのか?それは、因果関係が基本的には時間の流れに沿って進むからです。AがBの原因で、BがCの原因で、CがAの原因…というのは、「自分自身が自分の祖父である」と語るようなもので、論理的な矛盾をはらんでいます。DAGの世界では、このような因果のタイムトラベルは許されません。
(もちろん、臨床現場ではフィードバックループのような現象もありますが、その場合は時間をずらした変数(例:今日の血圧 → 明日の治療 → 明日の血圧)を考えることで、非巡回性を維持します。)
臨床例でDAGの威力を体感する
言葉の定義だけではピンとこないかもしれませんので、具体的な臨床例でDAGを描いてみましょう。以前も少し触れた「運動習慣」と「心疾患リスク」の関係です。
- X: 運動習慣
- Y: 心疾患リスク
- Z: 年齢
この3つの変数の関係性をDAGで表現してみます。まず、運動習慣(X)は心疾患リスク(Y)を下げると考えられますね。なので、X → Y という矢印が描けます。
しかし、ここで立ち止まって考えてみましょう。年齢(Z)という要因はどうでしょうか?一般的に、年齢が上がると運動習慣(X)は減る傾向にあり、同時に心疾患リスク(Y)は直接的に上がります。これを図にすると、以下のようになります。
この図が、DAGの真骨頂です。この図を描いたことで、私たちは以下の仮説を明確にしました。
- 年齢は、運動習慣に影響を与える。
- 年齢は、心疾患リスクにも直接影響を与える。
- 運動習慣は、心疾患リスクに影響を与える。
そして、この図は「運動習慣と心疾患リスクの間に観測される関連性の一部は、共通の原因である年齢によって見せかけ上、作り出されている可能性がある」ということを雄弁に物語っています。このように、2つの変数(XとY)の共通の原因となっている変数(Z)を交絡因子(Confounder)と呼びます。
観察研究で「運動している人の方が心疾患が少ない」というデータがあったとしても、それが本当に運動の効果なのか、単に「若い人が多くて、その人たちが元々心疾患リスクが低いだけ」なのか、データだけでは区別がつきません。DAGは、このようなバイアスの構造を可視化し、分析の際にどの交絡因子を考慮すべきかを教えてくれる、強力な羅針盤となるのです (Greenland et al., 1999)。
✍️ ちょっと練習問題
では、少し練習してみましょう。以下のシナリオをDAGで描いてみてください。
「ある降圧薬(A)は、心血管イベント(B)を抑制すると期待されている。しかし、この薬は腎機能が悪い患者(C)には禁忌であるため、処方されない。そして、腎機能が悪いこと自体が、心血管イベントの強いリスク因子である。」
…いかがでしょうか?答えはこんな感じになります。
この場合、腎機能(C)が交絡因子になっていることがわかりますね。単純にこの薬を飲んだ人と飲まなかった人を比較すると、飲まなかった群には元々腎機能が悪くイベントリスクが高い人が集まるため、薬の効果を正しく評価できなさそうだ、ということが図から読み取れます。
SCM:因果の「仕組み」を数式で語る ⚙️
さて、DAGという因果の「見取り図」の描き方をマスターしたところで、次はその中身、つまりどういう仕組みで物事が決まるのかという、より深いレベルに踏み込んでいきましょう。そのための道具が、構造的因果モデル(Structural Causal Model, SCM)です。
先ほどのDAGが家の「間取り図」だとしたら、SCMは「この壁は鉄筋コンクリート製で、厚さは20cm」「この部屋の温度は、窓の大きさとエアコンの設定温度で決まる」といった、具体的な仕様や物理法則まで書き込んだ「設計仕様書」にあたります。DAGが因果の骨格(構造)を定性的に示すのに対し、SCMはその骨格の上で、各変数がどのように決まるのかを定量的に、つまり方程式を使って記述するのです。
なぜこの「設計仕様書」が必要なのでしょうか?それは、SCMがあれば「もし壁の厚さを半分にしたら、部屋の温度はどうなる?」といった介入(Intervention)の効果をシミュレーションしたり、「もし昨日エアコンをつけていたら、今日の室温は何度だっただろう?」という反実仮想(Counterfactual)を計算したりすることが可能になるからです。まさに、因果推論の核心に迫るためのエンジンと言えます。
SCMを構成する登場人物たち
SCMという世界を理解するために、改めて2種類の変数(登場人物)を整理しておきましょう。
- 内生変数(Endogenous Variables): モデルの「内」で、他の変数から因果的な影響を受ける変数です。DAGで言えば、矢印の先端になっている(矢印を1本以上受けている)ノードがこれにあたります。これから私たちが、その決まり方を方程式で説明しようとする主役たちです。
- 外生変数(Exogenous Variables): モデルの「外」からやってくる、影響を与えるだけで受けない変数です。DAGでは矢印の根元にしかならない(矢印を全く受けていない)ノードです。これらは、モデルの出発点であり、それ以上さかのぼって原因を分析しない「所与の事実」や、説明しきれない「偶然」や「ノイズ」(誤差項)などを担います。
より具体的な臨床例でSCMを組み立てる
先ほど練習問題で使った、より現実に近いDAGを例に、SCMを実際に組み立ててみましょう。このステップを体験すれば、SCMが何をしているのか、きっと腹落ちするはずです。
Step 1: DAGで因果構造を再確認する
お題は、年齢、運動習慣、そして心疾患リスクの関係でしたね。
Step 2: 内生変数と外生変数を特定する
- 内生変数(矢印を受けている): 運動習慣\(X\)、心疾患リスク\(Y\)
- 外生変数(矢印を受けていない): 年齢\(Z\)
…おっと、忘れてはいけないのが、「説明しきれないノイズ」です。運動習慣は年齢だけで100%決まるわけではありませんし、心疾患リスクも年齢と運動だけで決まるわけではありませんよね。そこで、それぞれの内生変数に対して、説明しきれない要因をまとめた外生変数(誤差項)を導入します。ここでは \( U_X \) と \( U_Y \) と名付けましょう。
Step 3: 内生変数ごとに方程式を立てる
SCMでは、内生変数ひとつひとつに、専用の方程式を割り当てます。これが「構造方程式」と呼ばれるものです。
① 「運動習慣 \(X\)」 の方程式
DAGを見ると、運動習慣\(X\)は、年齢\(Z\)から矢印を受けています。そして、それ以外の要因(個人の意志、環境など)を \( U_X \) とします。よって、\(X\)が決まる仕組みは以下の方程式で表現できます。
\[ X := f_X(Z, U_X) \]
これは「運動習慣\(X\)は、年齢\(Z\)と、その他の要因\( U_X \)によって、何らかの関数 \( f_X \) に従って決まる」という因果メカニズムを表現しています。
② 「心疾患リスク \(Y\)」 の方程式
次に、心疾患リスク\(Y\)のDAGを見てみましょう。\(Y\)は、年齢\(Z\)と運動習慣\(X\)の両方から矢印を受けていますね。そして、それ以外の要因(遺伝、食生活など)を \( U_Y \) とします。
\[ Y := f_Y(Z, X, U_Y) \]
これも同様に、「心疾患リスク\(Y\)は、年齢\(Z\)と運動習慣\(X\)、そしてその他の要因\( U_Y \)によって、関数 \( f_Y \) という仕組みで決まる」という意味になります。
この2本の方程式の「セット」こそが、このDAGに対応するSCMです。
\[ \begin{cases} X := f_X(Z, U_X) \\ Y := f_Y(Z, X, U_Y) \end{cases} \]
この \(f\) という関数が具体的にどんな形(例えば線形回帰のような \(Y = aZ + bX + U_Y\) なのか、もっと複雑な非線形な形なのか)かは、私たちがデータやドメイン知識に基づいて仮定します。しかし、SCMの重要な点は、このように因果の仕組みを一つの方程式ではなく、連立方程式として捉えることで、変数間の相互作用をシステムとして記述できる点にあります。
そして、非常に重要な仮定として、通常は外生変数である誤差項( \( U_X \) と \( U_Y \) )は互いに独立である、つまり無関係であると仮定します。もしこれらが独立でない場合、それは「観測できていない、\(X\)と\(Y\)の共通原因(隠れた交絡因子)」が存在することを示唆し、DAGに点線で \( U_X \leftrightarrow U_Y \) のような線を描き加える必要があります。
このように、SCMはDAGという視覚的な地図を、計算可能な厳密な言語へと翻訳してくれる、強力なツールなのです。
DAGとSCM:最強タッグの役割分担 🗺️ & ⚙️
ここまで、DAGとSCMという2つの強力なツールを見てきました。これらは対立するものではなく、因果推論という旅における「地図」と「GPSナビ」のような、互いに補完し合う最強のタッグだと考えてみてください。
DAGは因果の「静的な地図」
DAGは、因果の全体像を俯瞰するための「地図」です。この地図を見れば、どの街(変数)がどの道(矢印)で繋がっているのか、どの街が交通の要所(交絡因子)になっているのか、その構造が一目瞭然です。私たちはこの地図を使って、目的地(結果)に至るための最適なルート(分析戦略)を考えたり、危険な道(バイアス)を避けたりする方法を定性的に計画することができます。
この地図がなければ、私たちは因果の森で迷子になってしまうでしょう。どの変数を調整すれば良いのか、どの変数を調整してはいけないのか(これは次回以降に学びます)、その判断はDAGという構造の理解があって初めて可能になるのです。
SCMは因果の「動的なGPSナビ」
一方、SCMは、その地図の上で動く「GPSナビ」や「物理シミュレーター」に相当します。このナビには、それぞれの道の具体的な情報(=方程式)がインプットされています。「この道の制限速度は時速60kmで、現在は渋滞している(\( Y = 2X + U_Y \))」といった具合です。
このGPSナビを使えば、私たちは一歩進んだ問いに答えることができます。
- 介入効果の推定: 「もし、この道を時速80kmで走ったら(=介入)、目的地には何分で着きますか?」
- 反実仮想の計算: 「もし、10分前に出発していたら、今頃どこにいましたか?」
これらは、地図を眺めているだけでは答えが出ない、定量的な問いです。具体的な数式(メカニズム)を持つSCMだからこそ、こうしたシミュレーションが可能になるのです。
まとめの比較表
この「地図とナビ」のイメージを念頭に、改めて両者の役割を表で整理してみましょう。
| 特徴 | DAG (有向非巡回グラフ) | SCM (構造的因果モデル) |
|---|---|---|
| 役割の比喩 | 因果の地図 🗺️ | 因果のGPSナビ ⚙️ |
| 表現形式 | 図(グラフ) | 方程式のセット |
| 主な役割 | 因果構造を「見える化」し、思考を整理する | 因果メカニズムを「数式化」し、計算を可能にする |
| 得意なこと | 交絡、媒介、衝突といったバイアスの構造を特定する | 介入効果の量的推定や「もしも」の世界(反実仮想)をシミュレーションする |
| 問いのレベル | 「何と何が関係しているか?」 (定性的・構造的) | 「Aをxだけ変えたら、Bはどれだけ変わるか?」 (定量的・機能的) |
このように、まずはDAGという地図を正確に描いて因果の全体構造を把握し、その地図に基づいてSCMというナビを構築して具体的な数値を計算する。この2段階のアプローチこそが、現代の因果推論の王道なのです。
なぜこれが臨床を変えるのか?DAGが医療従事者にもたらす3つの価値
「なんだか小難しそうだな…」「日常の診療でこんな図を描く暇はないよ」と感じた方もいるかもしれません。おっしゃる通り、これは決して簡単な概念ではありません。ですが、このDAGとSCMという考え方は、単なる統計学の小難しい理論ではなく、私たち医療従事者が日々直面する複雑な問題の解像度を上げ、より良い意思決定を導くための、非常に強力な「思考の道具」になるのです。
具体的に、この「因果の地図」が私たちの臨床や研究にどのような価値をもたらすのか、3つのポイントに絞ってご紹介します。
価値1:研究デザインの「羅針盤」になる 🧭
優れた臨床研究は、データを取り始める前の「デザイン(設計)」の段階でその質がほぼ決まります。ここでDAGは、私たちの思考を導く「羅針盤」の役割を果たします。
例えば、「新しいSGLT2阻害薬が心不全入院を減らすか」を観察研究で検証したいとします。その際、私たちはまず「この薬を処方される患者と、されない患者は、どんな背景が違うだろうか?」と考えますよね。年齢、性別、腎機能、糖尿病の重症度、併用薬、社会経済的背景…。
これらの要因をDAGとして描き出すことで、研究を始める前に、「どの変数が交絡因子になりそうか」「どのデータを必ず収集しなければならないか」を体系的に洗い出すことができます。これにより、「データを集めたはいいが、重要な交絡因子を取り忘れていた…」という悲劇を防ぐことができるのです。
ハーバード大学のMiguel Hernánらが提唱するTarget Trialの概念では、観察研究をあたかも理想的なランダム化比較試験(RCT)に近づけるための思考実験を行いますが、その設計においても、因果構造をDAGで明示することが根幹にあります (Hernán & Robins, 2020)。
価値2:チーム医療の「共通言語」になる 🗣️
臨床研究やカンファレンスでは、医師、看護師、薬剤師、データサイエンティストなど、様々な専門家が協力します。しかし、それぞれの頭の中にある「因果のイメージ」は、微妙に異なっているかもしれません。
- 医師A: 「やっぱり年齢が一番の交絡因子だよ」
- 医師B: 「いや、併存疾患の影響も無視できないはずだ」
- データサイエンティスト: 「統計的にはBMIも関連が強いですが、これは調整すべきでしょうか?」
このような議論は、主観のぶつかり合いになりがちです。しかし、そこでDAGをホワイトボードに描き出せば、議論は劇的に変わります。
「先生方の意見をまとめると、因果構造はこのようになりますね。このDAGを見ると、年齢と併存疾患は確かに交絡因子ですが、BMIは治療選択とアウトカムの中間にある『媒介因子』の可能性があるので、これを調整すると逆にバイアスが生じるかもしれません。」
このように、DAGは個人の経験や勘といった暗黙知を、誰もが客観的に検討できる「共通言語」へと変換してくれます。これにより、チームの意思決定はより透明で論理的なものになるのです (Shrier & Platt, 2008)。
価値3:論文の批判的吟味の「解像度」を上げる 🔬
明日からすぐに役立つ最大のメリットは、論文を読むときの「眼」が変わることかもしれません。EBMを実践する上で、論文の批判的吟味は欠かせませんが、DAGを知ることで、その解像度が格段に上がります。
ある観察研究の論文を読んだとき、これまでは「多変量解析で調整しているから、まあ大丈夫だろう」と漠然と考えていたかもしれません。しかし、DAGを知っていれば、こう考えられるようになります。
「この研究の著者たちは、治療、アウトカム、そして共変量の間に、どのような因果の『地図』を想定しているのだろうか?」「彼らが調整した変数は、本当に交絡因子だけだろうか?もしかして、調整してはいけない『合流点バイアス』を引き起こす変数を調整してしまっていないか?」「この地図には描かれていない、重要な『測定されていない交絡因子』は存在しないだろうか?」
このように、論文の奥に潜む「因果に関する仮説」を読み解き、その妥当性を構造的に評価できるようになる。これこそ、DAGがもたらす最も知的で実践的な恩恵の一つだと私は思います (Greenland et al., 1999)。
漠然とした経験や勘だけに頼るのではなく、因果の構造を可視化し、客観的な言葉で語る。SCMとDAGは、それを可能にするための、現代の医療従事者にとって不可欠なリテラシーなのです。
まとめ:因果の「地図とコンパス」を手に入れよう
今回は、私たちの頭の中にある漠然とした「因果のイメージ」を、客観的で操作可能な形に落とし込むための、強力なツールセットについて学んできました。
かつて私たちは、「相関は因果ではない」という標語の前で立ち尽くすしかありませんでした。しかし、もう違います。ジュディア・パールがもたらした革命によって、私たちは因果関係を科学的に議論するための「言葉」を手に入れたのです。
- まずDAGという「因果の解剖図」を描き、現実世界の複雑な関係性を、その骨格から明らかにします。これにより、バイアスの源泉となる交絡などの構造を「見える化」しました。
- 次にSCMという「地図を支配する物理法則」を導入し、その構造の上で各変数がどのように決まるのかを、方程式という厳密な言語で記述しました。
これらのツールの最大の価値は、私たちに「自らの仮説を明確に表明すること」を促す点にあります。何が原因で、何が結果で、何が交絡しているのか。その曖昧さを許さない明晰な思考こそが、質の高い臨床研究とEBMの実践につながります。
さて、これでようやく因果推論のスタートラインに立ちました。私たちは今、因果関係という未知の大海を航海するための「地図」と「コンパス」を手に入れた状態です。
次回は、いよいよこの地図の読み解き方、つまり航海術を学びます。因果の流れを読み解くための具体的な文法である「d分離」、そして交絡という厄介な嵐を避けるための航路を見つけ出す「バックドア基準」という概念に踏み込んでいきます。どうぞお楽しみに!
参考文献
- Greenland, S., Pearl, J. & Robins, J.M. (1999). Causal diagrams for epidemiologic research. Epidemiology, 10(1), pp.37-48.
- Hernán, M. A., & Robins, J. M. (2020). Causal Inference: What If. Boca Raton: Chapman & Hall/CRC.
- Imbens, G.W. & Rubin, D.B. (2015). Causal Inference in Statistics, Social, and Biomedical Sciences. Cambridge University Press.
- Pearl, J. (2009). Causality: Models, Reasoning, and Inference (2nd ed.). Cambridge University Press.
- Pearl, J. & Mackenzie, D. (2018). The Book of Why: The New Science of Cause and Effect. Basic Books.
- Shrier, I. & Platt, R.W. (2008). Reducing bias through directed acyclic graphs. BMC Medical Research Methodology, 8(1), p.70.
- VanderWeele, T.J. (2015). Explanation in Causal Inference: Methods for Mediation and Interaction. Oxford University Press.
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