[The Medical AI : A19] 【強化学習】アメとムチで迷路を脱出せよ!「試行錯誤」で進化するAIの目撃者

これまで私たちは、過去の正解データを覚える「教師あり学習」(例:画像診断)や、データの構造そのものを地図のように読み解く「教師なし学習」(例:患者分類)について学んできました。

しかし、医療の現場も、そして私たちの人生も、最初から「正解」のラベルが貼られているわけではありません。むしろ、正解かどうかがわかるのは、ずっと後になってからということがほとんどです。

「血圧が低下しているショック状態の患者さん。今、この瞬間に昇圧剤を投与すべきか? それとも輸液を増やすべきか?」

この問いに対する答えは、投与した直後の血圧値だけでは決まりません。その処置が数時間後の腎機能にどう影響するか、そして最終的に数日後の「生存退院」につながるかという、「未来の結果」によって初めて評価されるからです。

現在の行動が未来の状態を変え、その積み重ねが最終的な結果を左右する。このような問題を「連続意思決定問題(Sequential Decision Making)」と呼びます。

今回は、そんな複雑な意思決定を最適化するための技術、強化学習(Reinforcement Learning: RL)の世界へ足を踏み入れます。
難しい数式はいったん後回しにしましょう。まずはAIを「アメとムチ」を持った迷路探検家に例えて、その仕組みを直感的に理解することから始めます。


目次

1. 強化学習とは?:AIを「訓練」する仕組み

これまで学んできた「教師あり学習」は、いわば「教科書と問題集」で勉強するスタイルでした。正解があらかじめ用意されており、それを覚えることが目標です。
しかし、強化学習は全く異なります。これは「現場での経験」を通じて学ぶスタイルです。

「新米医師」と「現場」のアナロジー

強化学習のイメージは、医学書を読んだだけの新しい研修医(エージェント)が、実際の臨床現場(環境)に放り込まれ、指導医からのフィードバックや患者さんの経過を見ながら、手探りで「名医」へと成長していくプロセスにそっくりです。

このプロセスを構成する5つの重要な要素を、迷路ゲームと医療現場の両方で定義してみましょう。

  • エージェント(Agent)
    行動する主人公。迷路では「プレイヤー」、医療では「AI(または医師)」にあたります。
  • 環境(Environment)
    エージェントが存在し、行動を受け入れる世界。迷路そのもの、あるいは「ICUの病室」や「患者の体内」です。
  • 状態(State)
    今、どういう状況か。迷路なら「座標 \((x, y)\)」、医療なら「血圧80mmHg、心拍数120、SPO2 90%」といったバイタルサインです。
  • 行動(Action)
    その状態で何をするか。迷路なら「右に進む」、医療なら「昇圧剤を投与する」「輸液負荷を行う」という選択肢です。
  • 報酬(Reward)
    行動の結果、良かったのか悪かったのかの点数。ゴールなら「+10点(アメ)」、落とし穴なら「-10点(ムチ)」、医療なら「生存退院(正の報酬)」や「合併症発生(負の報酬)」です。

試行錯誤のループ:行動が未来を変える

AIは最初、医学知識も迷路の地図も持っていないため、何が正解か全く知りません。最初はランダムに行動し、失敗(落とし穴/病状悪化)したり、成功(ゴール/回復)したりします。

「この状態で、この行動をとったら、結果的に褒められた(報酬をもらえた)」
「あそこでこの行動をとったら、後で酷い目にあった(罰を受けた)」

この「試行錯誤(Trial and Error)」を何千回、何万回と繰り返すことで、AIは「どの状態でどう動けば、将来もらえる報酬の合計(期待値)が最大になるか」という、最強の治療戦略(ポリシー)を学習していくのです (Sutton and Barto 2018)。

AI医師 Agent 未学習 ENVIRONMENT (PATIENT) × ACTION STATE / REWARD Reward

2. Q学習(Q-Learning):経験を「スコア表」に刻む

AIは、迷路で転んだりゴールしたりした経験を、一体どこに記憶しているのでしょうか?脳みその中にノートを持っているようなものです。

最も基本的なアルゴリズムであるQ学習(Q-Learning)では、「Qテーブル」と呼ばれるカンニングペーパー(行動価値関数)を作成し、そこに経験を書き込んでいきます。

Qテーブル=「攻略本」を自作する

Qテーブルは、エクセルの表のようなものを想像してください。

  • 行(縦):あらゆる「状態」(迷路の交差点、あるいは患者の病態)
  • 列(横):とれる「行動」(右へ行く、あるいは投薬する)

それぞれのマス目には、Q値(Quality Value:行動の価値)というスコアが書き込まれます。これは「その状態でその行動をとったら、将来これくらい良いことがありそうだよ」というAIの期待値(予測)です。

数式の「翻訳」:予測と結果の答え合わせ

AIは行動するたびに、このQテーブルの数字を書き換えていきます。その更新ルールが以下の数式です。一見複雑に見えますが、やっていることは「反省会」です。

\[ Q(s, a) \leftarrow Q(s, a) + \alpha \left[ \underbrace{r + \gamma \max_{a’} Q(s’, a’)}_{\text{現実と未来の見込み}} – \underbrace{Q(s, a)}_{\text{事前の予想}} \right] \]

数式の「翻訳」:Q学習の更新ルール 予測(Q)と結果(r)を答え合わせして、AIは少しずつ賢くなる Q(s,a) new Q(s,a) + α [ r + γ max Q’ Q(s,a) ] TD誤差 (予測と現実の差) Q(s, a) 事前の予想
「たぶんこれくらい良い結果になるだろう」と思っていた、更新前の古い評価値。
α (アルファ) 学習率 (0~1)
新しい経験をどれくらい素直に受け入れるか。
r (報酬) 現実の結果
実際に行動して、今ここでもらえたアメやムチ。
γ max Q’ 未来の見込み (割引率γ)
「この先はもっと良いことがありそうだ」という将来の期待値。

この式を日本語に翻訳すると、以下のようになります。

  • \(Q(s, a)\)(事前の予想)
    「たぶん、これくらい良い結果になるだろう」と思っていた古い評価。
  • \(r\)(現実の報酬)
    実際に行動してみたら、今ここでもらえた点数(アメやムチ)。
  • \(\max Q(s’, a’)\)(未来の見込み)
    移動した先から見渡してみて、「あ、この先はもっと良いことがありそうだぞ」とわかった将来の期待値。
  • \(\alpha\)(学習率)
    「新しい経験をどれくらい素直に受け入れるか」という係数(0〜1)。大きすぎると直近の結果に振り回され、小さすぎると頑固でなかなか学習しません。
  • \(\gamma\)(割引率)
    「将来の利益をどれくらい重要視するか」という係数(0〜1)。
    0に近いと「今の快楽」しか見ない刹那的なAIになり、1に近いと「遠い未来の成功」のために今は耐えるAIになります。

要するに何をしているのか?

AIは、以下のようにつぶやきながらメモを修正しているのです。

「『ここは最高だ(予想Q値)』と思ってたけど、実際に行ってみたら何もなかったし(報酬ゼロ)、その先も行き止まりだった(未来Q値も低い)。
予想と現実のズレ(誤差)の分だけ、評価を下げておこう。」

この地道な更新作業を何万回も繰り返すことで、Qテーブルは「完璧な攻略本」へと進化し、AIはどんな状況でも最適な行動を選べるようになるのです。


3. 実践ハンズオン:Pythonで迷路を攻略せよ

言葉で理論を説明されるよりも、実際に動くものを見る方が理解は早いです。「AIが賢くなる瞬間」をその目で目撃しましょう。

ここでは、複雑な外部ライブラリ(PyTorchやTensorFlowなど)は一切使わず、数値計算ライブラリの NumPy だけで、迷路環境とQ学習エージェントをゼロから実装します。「ブラックボックス」を作らず、すべての計算過程を記述することで、仕組みを完全に理解することを目指します。

THE WORLD (ENVIRONMENT) Action Space: Up/Down/Left/Right START TRAP (-10) GOAL (+10) THE BRAIN (Q-TABLE) Value Map: Knowledge Accumulation SYSTEM LOG: > Initializing Agent…

シナリオ設定

3×3のシンプルな迷路です。左上(スタート)から右下(ゴール)を目指します。ただし、中央には「落とし穴」があり、落ちると大きな罰を受けます。

  • スタート:左上 (座標 [0, 0])
  • ゴール:右下 (座標 [2, 2]) → 報酬 +10
  • 落とし穴:中央 (座標 [1, 1]) → 報酬 -10
  • 移動コスト:1歩動くたびに -0.1 (最短ルートを探させるため)

【実行前の準備】
以下のコードで日本語のグラフを正しく表示させるには、あらかじめターミナルやコマンドプロンプトで以下のコマンドを実行し、ライブラリをインストールしてください。
pip install japanize-matplotlib

強化学習:Q-Learning の仕組み Agent(行動主体)と Environment(環境)の相互作用による学習ループ 🗺️ Environment (迷路) 🤖 🕳️ 🚩 Start Trap -10 Goal +10 🧠 Agent / Q-Table State Action Values (Q) (0, 0) (0, 1) Select Max 1. Action 2. Reward 🔄 学習(価値の更新) Qnew = Qold + α ( Reward + γ QmaxQold ) 予測誤差(TD誤差)を修正して賢くなる
# ==========================================
# 0. 準備:必要な道具(ライブラリ)を揃える
# ==========================================
import numpy as np                 # 数値計算を効率的に行うためのライブラリ
import matplotlib.pyplot as plt    # グラフを描画するためのライブラリ
import japanize_matplotlib         # グラフの日本語表示を可能にするライブラリ
import random                      # 乱数(サイコロのようなもの)を使うためのライブラリ

# 実験の結果を毎回同じにするため、乱数の「種(シード)」を固定する
np.random.seed(42)
random.seed(42)

# ==========================================
# 1. 迷路環境クラス (The World)
#    AIが冒険する「世界」を定義します
# ==========================================
class SimpleMazeEnv:
    def __init__(self):
        # 迷路の盤面を数字の配列で定義する
        # 0:道, 2:スタート, 3:ゴール, 9:落とし穴
        self.grid = np.array([
            [2, 0, 0],  # 1行目:左上がスタート
            [0, 9, 0],  # 2行目:真ん中に落とし穴
            [0, 0, 3]   # 3行目:右下がゴール
        ])
        # 迷路のサイズ(高さと幅)を取得しておく
        self.height, self.width = self.grid.shape
        # エージェントを初期位置にセットする
        self.reset()

    def reset(self):
        """ゲームをリセットしてエージェントをスタート地点に戻す関数"""
        self.agent_pos = (0, 0) # スタート位置(左上)に設定
        return self.agent_pos   # 現在の位置を報告する

    def step(self, action):
        """エージェントの行動を受け取り、結果(移動先、報酬、終了判定)を返す関数"""
        # 行動の定義番号を、実際の移動量(縦, 横)に変換する辞書
        # 0=上(-1,0), 1=右(0,1), 2=下(1,0), 3=左(0,-1)
        moves = {0: (-1, 0), 1: (0, 1), 2: (1, 0), 3: (0, -1)}

        # 選ばれた行動(action)に対応する移動量を取り出す
        dy, dx = moves[action]

        # 現在位置に移動量を足して、新しい位置(ny, nx)を計算する
        ny = self.agent_pos[0] + dy
        nx = self.agent_pos[1] + dx

        # 【壁・枠外判定】修正箇所:
        # もし新しい位置が迷路の枠内にあるなら
        if 0 <= ny < self.height and 0 <= nx < self.width:
            self.agent_pos = (ny, nx) # 実際に位置を更新する
        else:
            # 枠の外に出ようとしたら、移動せずにその場に留まる(位置更新しない)
            pass

        # 移動先のセルの種類(道、ゴール、穴など)を確認する
        ny, nx = self.agent_pos
        cell = self.grid[ny, nx]

        # 報酬と終了判定の初期化
        reward = 0      # 報酬はとりあえず0
        done = False    # ゲーム終了フラグはFalse(まだ続く)

        # 【報酬のルール】
        if cell == 3:         # もしゴール(3)に着いたら
            reward = 10       # アメを与える(+10点)
            done = True       # ゲーム終了
        elif cell == 9:       # もし落とし穴(9)に落ちたら
            reward = -10      # ムチを与える(-10点)
            done = True       # ゲーム終了(失敗)
        else:                 # ただの道(0)やスタート(2)なら
            reward = -0.1     # わずかな罰を与える(-0.1点)
            # ※これにより「ダラダラ歩かず最短ルートを目指す」動機づけになる

        # 新しい位置、もらった報酬、ゲームが終わったかを報告する
        return self.agent_pos, reward, done

# ==========================================
# 2. Q学習エージェントクラス (The Brain)
#    学習して賢くなる「脳」を定義します
# ==========================================
class QLearningAgent:
    def __init__(self, n_states, n_actions, alpha=0.1, gamma=0.9, epsilon=0.1):
        # Qテーブル(カンニングペーパー)を「状態数 x 行動数」の大きさで作る
        # 最初は何も知らないので、全ての値を0にしておく
        self.q_table = np.zeros((n_states, n_actions))

        self.alpha = alpha     # 学習率:新しい経験をどれくらい素直に受け入れるか
        self.gamma = gamma     # 割引率:未来の報酬をどれくらい重要視するか
        self.epsilon = epsilon # 探索率:どれくらいの確率で「気まぐれ(ランダム行動)」を起こすか
        self.n_actions = n_actions # 取れる行動の選択肢の数(今回は上下左右の4つ)

    def get_action(self, state_idx):
        """現在の状態を見て、次の行動を決める関数(ε-Greedy法)"""
        # 0〜1の乱数を振って、それがepsilon(探索率)より小さい場合
        if random.random() < self.epsilon:
            # 「探索」:知識に関係なく、ランダムに行動を選んでみる
            return random.randint(0, self.n_actions - 1)
        else:
            # 「活用」:Qテーブルを見て、一番点数が高い(自信がある)行動を選ぶ
            return np.argmax(self.q_table[state_idx])

    def update(self, state, action, reward, next_state):
        """経験に基づいてQテーブル(記憶)を更新する関数"""
        # 次の状態(移動先)で、一番良さそうな行動のQ値(最大値)を確認する
        max_next_q = np.max(self.q_table[next_state])

        # 現在のQ値(行動する前の予想)を取得する
        current_q = self.q_table[state, action]

        # 【Q学習の更新式(ベルマン方程式)】
        # 「現実の報酬」+「未来の期待値」と、「事前の予想」とのズレ(誤差)を計算し
        # そのズレの一部(alpha分)だけ修正して、新しいQ値とする
        new_q = current_q + self.alpha * (reward + self.gamma * max_next_q - current_q)

        # Qテーブルの該当箇所を新しい値に書き換える
        self.q_table[state, action] = new_q

# ==========================================
# 3. 学習の実行 (Simulation)
#    エージェントを環境に放り込んで訓練開始
# ==========================================
env = SimpleMazeEnv()   # 迷路環境を作る
# 状態数は「縦3 x 横3」で9通り、行動は4通り
agent = QLearningAgent(n_states=9, n_actions=4, epsilon=0.1)

episodes = 500          # 500回ゲーム(エピソード)を繰り返す
rewards_history = []    # 毎回の成績(報酬の合計)を記録するリスト

for episode in range(episodes):
    state = env.reset() # 毎回スタート位置に戻す

    # 座標(行, 列)を、Qテーブル用の通し番号(0〜8)に変換する
    # 例:(0,0)→0, (1,1)→4, (2,2)→8
    state_idx = state[0] * 3 + state[1]

    total_reward = 0    # 今回のエピソードの報酬合計
    done = False        # ゲーム終了フラグ

    # ゴールするか穴に落ちるまで繰り返す(1エピソード)
    while not done:
        # 1. エージェントが今の状態で行動を決める
        action = agent.get_action(state_idx)

        # 2. 決めた行動を環境で実行し、結果を受け取る
        next_state_pos, reward, done = env.step(action)

        # 移動先の座標を通し番号に変換
        next_state_idx = next_state_pos[0] * 3 + next_state_pos[1]

        # 3. 結果(行動・報酬・次の状態)を使ってQテーブルを更新する(学習)
        agent.update(state_idx, action, reward, next_state_idx)

        # 4. 次のステップのために、現在の状態を更新する
        state_idx = next_state_idx

        # 報酬を合計に加算する
        total_reward += reward

    # エピソード終了後、今回の合計報酬を記録リストに追加
    rewards_history.append(total_reward)

# ==========================================
# 4. 結果の可視化 (Visualization)
# ==========================================
plt.figure(figsize=(10, 5))          # グラフのサイズ設定
plt.plot(rewards_history)            # 報酬の推移をプロット
plt.title('エピソードごとの獲得報酬の推移') # タイトル
plt.xlabel('エピソード数')            # 横軸ラベル
plt.ylabel('獲得報酬')                # 縦軸ラベル
plt.grid(True)                        # グリッド線を表示
plt.show()                            # グラフ表示

print("学習完了後のQテーブル(一部・見やすく四捨五入):")
print(agent.q_table.round(2))
学習完了後のQテーブル(一部・見やすく四捨五入):
[[ 4.62  7.02  0.36  5.35]
 [ 5.02  7.91 -8.15  4.53]
 [ 5.21  6.4   8.9   6.11]
 [ 1.15 -1.    1.36 -0.03]
 [ 0.    0.    0.    0.  ]
 [ 3.92  5.45 10.   -6.51]
 [-0.02  3.98 -0.02 -0.02]
 [-1.    7.94  0.    0.  ]
 [ 0.    0.    0.    0.  ]]

コード解説:ここがポイント!

  • 環境の構築(SimpleMazeEnv):
    AIが動く「世界」を作っています。ゴール(+10点)と落とし穴(-10点)だけでなく、「1歩動くごとに -0.1点」という罰を与えているのがミソです。もしこれがないと、AIは「ゴールしても点数は変わらないし」と考え、道草を食ったり、同じ場所を行ったり来たりしてしまう可能性があります。「早くゴールしたほうが点数が高くなる」ように仕向けるための工夫です。
  • Epsilon-Greedy法(探索と活用):
    get_actionメソッドの中にある「探索率(epsilon)」の仕組みです。AIがすでに知っている「良さそうな手(活用)」ばかり選んでいると、もっと良い未知のルートがあっても気づけません。そこで、サイコロを振ってたまに「あえてランダムな行動(探索)」をさせることで、失敗を恐れずに新しい可能性を発見させています。
  • 学習の推移(グラフ):
    実行すると表示されるグラフを見てください。左側(学習初期)は線が低く、ジグザグしています。これは落とし穴に落ちたり、迷ったりしている証拠です。しかし、右側(学習後半)に進むにつれて線が高い位置で安定していきます。これが、AIが「迷路の攻略法(最短ルート)」を完全に学習し、迷わなくなった瞬間です。

4. 医療現場への応用:迷路から臨床へ

「たかが迷路を解くだけのAIが、何の役に立つんだ?」

そう思われるかもしれません。しかし、侮ってはいけません。先ほど見てきた「状態(State)を見て、最適な行動(Action)を選び、結果(Reward)から学ぶ」というフレームワークは、実は現代医療が抱える最も困難な課題に対する、極めて強力なソリューションになるのです。

ここでは、実際に世界的な注目を集めた2つの画期的な研究事例を紹介します。

1. 敗血症治療の最適化 (AI Clinician)

ICU(集中治療室)における敗血症(Sepsis)の治療は、まさに時間との戦いです。刻一刻と変化する患者さんの容体に対し、医師は常に難しい判断を迫られます。

「血圧が下がってきた。血管収縮薬で締めるべきか? それとも輸液を入れて循環血液量を増やすべきか?」

2018年、インペリアル・カレッジ・ロンドンのKomorowskiらは、このジレンマに強化学習で挑んだ「AI Clinician」を発表しました (Komorowski et al. 2018)。彼らはMIMIC-IIIという巨大なICUデータベースを使い、AIに「迷路」の代わりに「敗血症治療」を学習させたのです。

Komorowski et al. 2018
State (St) Action (At) The AI Clinician Model 敗血症治療における強化学習(RL)エージェントの構造 🏥 Environment (患者) HR: 110 BP: 85/50 Lac: 4.5 📍 現在の状態 (State) 48の特徴量(バイタル・検査値) =「迷路の座標」 🤒 🧠 Agent (AI医師) 輸液量 (IV Fluids) 昇圧剤 💉 行動選択 (Action) 輸液 × 血管収縮薬の投与量決定 =「迷路の移動方向」 💊 生存退院 (+100) 🏠 死亡 (-100) ⚰️
CONTINUOUS RL CONTROL LOOP MODEL: AI CLINICIAN (High-Frequency Titration) CUMULATIVE REWARD 0 ECG (LEAD II) HR (bpm) 110 MAP TREND (Target: 65-75) NIBP (mmHg) 80/40 (53) MAP FLUIDS 0 mL NOREPINEPHRINE 0 mcg/min REAL-TIME DECISION STREAM: System Initialized.

【衝撃的な結果】
学習を終えたAIは、熟練の臨床医とは異なる、独自の治療戦略を提案しました。AIの推奨する投与量と、実際の医師の投与量が一致したケースでは死亡率が低かったのに対し、大きく乖離したケースでは死亡率が高くなる傾向が見られたのです。

これは、人間が経験則や「なんとなく」の直感で行っていた微調整を、AIが「データに基づいた数理的な最適解」として再定義できる可能性を示しました。

2. 投薬スケジュールの個別化 (Precision Dosing)

薬の効き方には個人差があります。同じ量の抗がん剤や抗凝固薬(ヘパリンなど)を投与しても、ある人には効果がなく、ある人には副作用が強く出すぎることがあります。

ここで強化学習の出番です。これは「綱渡り」を制御するようなものです。

  • 目的:薬物血中濃度を「効果はあるが副作用は出ない」という狭い範囲(治療域)に維持し続けること。
  • AIの役割:毎回の検査結果(状態)を見て、次の投与量(行動)を微調整する。

従来の「体重だけで決める固定的なプロトコル」とは異なり、AIは「この患者さんは代謝が早いから、少し早めに追加投与しよう」といった、患者ごとの代謝や反応(Environmentの特性)に合わせた動的な個別化医療(Personalized Medicine)を実現しようとしているのです。


5. 医療における課題:「失敗できない」という決定的な壁

ここまで読んで、「すごい!すぐに現場で使おう」と思った方は、少し立ち止まってください。迷路のAIと医療現場のAIには、埋めがたい「決定的な違い」が一つあります。

それは、「失敗が許されるかどうか」です。

「1万回の失敗」は許されない

迷路のAIは、1万回落とし穴に落ち、壁に激突し続けることで賢くなりました。しかし、現実の患者さんで「試行錯誤(Exploration)」することは絶対に許されません。

「この患者さんで新しい薬の量を試してみよう。あ、ダメだった(死亡)。じゃあ次は減らしてみよう」

これは倫理的にも法的にも不可能です(ヒポクラテスの誓い「まずは害をなすなかれ」に反します)。
では、どうすれば「練習」せずに「本番」で成功できるのでしょうか? ここで2つの重要なアプローチが登場します。

解決策1:Offline RL(オフライン強化学習)~歴史から学ぶ~

一つ目の方法は、「過去のカルテデータ(歴史)」だけを使って学習する方法です。

オンライン強化学習(Online RL)が「走りながら学ぶ」スタイルだとすれば、オフライン強化学習(Offline RL)は「図書館で過去の戦記を読み込んで学ぶ」スタイルです (Levine et al. 2020)。

  • やり方:病院に蓄積された何万人分もの電子カルテデータ(過去の医師の行動と、その結果)を用意します。
  • 学習内容:「熟練医がこういう判断をした時はうまくいった」「逆にこういう判断をした時は予後が悪かった」というパターンを解析します。
  • メリット:新たな患者さんを危険に晒すことなく、安全に賢いモデルを作れます。

いわば、過去の名医や失敗例から「仮想的な経験」を積むことで、現場に出る前にレベルアップしておくのです。

解決策2:Sim2Real(シミュレーションから現実へ)~仮想世界で特訓~

もう一つの方法は、「フライトシミュレーター」のアプローチです。

パイロットは最初から本物の飛行機を操縦しません。墜落しても死なないシミュレーターの中で何千回も失敗し、技術を習得してから実機に乗ります。これをAIに応用したのがSim2Real(Simulation to Reality)です。

  • 生理学シミュレータ:人体の反応(薬物動態や循環動態)を模倣した「デジタルな患者(Digital Twin)」をコンピュータの中に作ります。
  • 仮想特訓:AIはこのデジタル患者に対して、何万回もの治療シミュレーションを行います。ここでは何度失敗しても、誰の命も奪いません。
  • 現実への適用:仮想世界で「名医」レベルに達した安全なAIモデルだけを、現実世界(Real)に連れてきます。

このように、医療AIの研究者たちは、「患者さんの命を守る」という絶対的なルールの下で、AIを賢くするための様々な工夫を凝らしているのです。


まとめ:AIは「失敗」から学び、「判断」する医師になる

今回学んだ強化学習は、AIの役割を劇的に変える技術です。

これまでのAI(教師あり学習)は、「これは癌ですか?」「はい、癌です」と答える優秀な「識別機」でした。しかし、強化学習によってAIは、「今、何をすべきか?」を自ら考え、行動の結果に責任を持つ「意思決定者」へと進化します。

「アメとムチ」を受けながら、何度も転んで、起き上がって、少しずつ迷路の歩き方を覚えていくその姿。それは、私たちが研修医時代に、先輩に怒られ、患者さんの笑顔に救われながら、教科書には載っていない「臨床の勘所」を磨いていったプロセスと驚くほど似ています。

AIも人間も、失敗から学び、経験を積み重ねることでしか到達できない「知能」の領域があるのです。

次回予告:[A20] 実装編・最終回

さて、次回はいよいよ [Series A] Season 3 の最終回です。

苦労して学習させたAIモデルも、PCの電源を切れば消えてしまいます。そこで次回は、育て上げたAIを「冷凍保存(モデルの保存)」し、いつでも呼び出して使えるようにする技術を学びます。
研究室(Google Colab)から飛び出し、実際の社会で役立つアプリケーションとして実装するための、最初の一歩を踏み出しましょう。


参考文献

  • Gottesman, O., Johansson, F., Komorowski, M., Levine, S., Doshi-Velez, F., Celi, L.A. and Sontag, D. (2019). Guidelines for reinforcement learning in healthcare. Nature Medicine, 25, pp.16–29.
  • Komorowski, M., Celi, L.A., Badawi, O., Gordon, A.C. and Faisal, A.A. (2018). The Artificial Intelligence Clinician learns optimal treatment strategies for sepsis in intensive care. Nature Medicine, 24, pp.1716–1720.
  • Levine, S., Kumar, A., Tucker, G. and Fu, J. (2020). Offline reinforcement learning: Tutorial, review, and perspectives on open problems. arXiv preprint.
  • Sutton, R.S. and Barto, A.G. (2018). Reinforcement Learning: An Introduction. 2nd ed. Cambridge, MA: MIT Press.

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この記事を書いた人

医師・医学博士・AI研究者・連続起業家
元厚生労働省幹部・ハーバード大学理学修士・ケンブリッジ大学MBA・コロンビア大学行政修士(経済)
岡山大学医学部卒業後、内科・地域医療に従事。厚生労働省で複数室長(医療情報・救急災害・国際展開等)を歴任し、内閣官房・内閣府・文部科学省でも医療政策に携わる。
退官後は、日本大手IT企業や英国VCで新規事業開発・投資を担当し、複数の医療スタートアップを創業。現在は医療AI・デジタル医療機器の開発に取り組むとともに、東京都港区で内科クリニックを開業。
複数大学で教授として教育・研究活動に従事し、医療関係者向け医療AIラボ「Medical AI Nexus」、医療メディア「The Health Choice | 健康の選択」を主宰。
ケンブリッジ大学Associate・社会医学系指導医・専門医・The Royal Society of Medicine Fellow

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