結論:もう「環境構築」で挫折させません。
いきなりですが、質問です。あなたが外科手術を学びたいと思ったとき、まず最初に何をしますか?
自分の家のガレージを改造して、無菌室を作り、手術台を購入し、無影灯を配線し、麻酔器を個人輸入する……なんてことは、絶対にしませんよね? すでに設備の整った「大学病院の手術室」に行けば、すぐに執刀のトレーニングが始められます。
プログラミングの学習、特に医療AIの開発も全く同じです。
これまで多くの医師や研究者が、自分のパソコンの中に「開発環境」という名の手術室を一から作ろうとしてきました。しかし、Pythonのライブラリ同士の競合、GPUドライバ(CUDA)の設定、OSのバージョンの不整合といった「配線のトラブル」に阻まれ、肝心のコードを一行も書く前に力尽きてしまうケースが後を絶ちません (Bisong 2019)。これは、手術の手技を学ぶ前に、病院の建築で挫折するようなものです。
今日、私たちはその無意味な苦行から解放されます。
Googleがクラウド上に用意してくれた、無料で使える最先端のハイブリッド手術室。それが「Google Colaboratory(以下、Google Colab)」です。
Google Colabは、ブラウザ上で動作するPythonの実行環境(Jupyter Notebook)であり、面倒な環境構築やメンテナンスはGoogleのエンジニアがすべて肩代わりしてくれています。さらに特筆すべきは、ディープラーニングの計算に不可欠な高性能GPU(NVIDIA Tesla T4など)すらも、追加費用なしで利用できる点です (Carneiro et al. 2018)。
この記事では、ブラウザを開いてからわずか3分で、手元のPCのスペックに関わらず、スーパーコンピュータ級の計算能力を手に入れる手順を解説します。準備はいいですか?

1. なぜ「Google Colab」なのか? 〜手元のPCは電子カルテ端末でいい〜

本格的な医療AI、特に画像診断支援などで用いられるディープラーニング(深層学習)の開発には、GPU(Graphics Processing Unit)という特殊な計算チップが不可欠です。
なぜ、普通のパソコンに入っているCPUではなく、GPUが必要なのでしょうか?
これを医療現場のスタッフに例えると、それぞれの得意分野が明確になります。
- CPU(中央演算装置)は「天才的な総合診療医」
- 複雑な判断、論理的な思考、予期せぬ事態への対応など、あらゆるタスクを一人で器用にこなします。しかし、一度に診られる患者さんは一人だけ(順次処理)です。
- GPU(画像処理装置)は「数千人の熟練検査技師集団」
- 個々の能力は単純な計算に限られますが、全員で一斉に同じ作業を行うことができます(並列処理)。
医療画像データ、例えばCTやMRIの画像は、数百万個のピクセル(画素)という数値の集まりです。AIが学習する際、この数百万個の数値に対して一斉に計算を行う必要があります。
一人の天才医師(CPU)が数百万回計算を繰り返すよりも、数千人の技師(GPU)が「せーの」で一度に計算を終わらせる方が、圧倒的に速いことは想像に難くないでしょう。実際、行列演算と呼ばれるこの計算処理において、GPUはCPUの数十倍から百倍以上の速度を発揮します (LeCun et al. 2015)。
しかし、ここで大きな壁が立ちはだかります。このような高性能なGPUを搭載した「AI開発用ワークステーション」は非常に高価(数十万円〜数百万円)であり、排熱や電力の管理も大変です。初学者がいきなり購入するにはハードルが高すぎます。
そこで登場するのが「Google Colab」です。
Google Colabは、Googleのデータセンターにある高性能なGPU(例えば NVIDIA Tesla T4など)を、インターネットを通じて無料で貸し出してくれます (Carneiro et al. 2018)。
つまり、あなたの手元にあるパソコンは、重い処理を行わない「電子カルテ閲覧用の端末」で構いません。インターネットにさえ繋がれば、裏側ではGoogleが保有する「巨大な頭脳」が、あなたの代わりに汗をかいて計算処理を行ってくれるのです。
2. 【実践】3分で終わる「入局手続き」

それでは、実際にあなただけの「研究室」をクラウド上に開設しましょう。
手続きといっても、書類審査もハンコも不要です。Googleのアカウントさえあれば、3ステップで完了します。
Step 1: Google Colabにアクセスする
まず、Googleアカウントにログインした状態で、以下の「Google Colaboratory」の公式サイトにアクセスしてください。

Step 2: ノートブックを新規作成する
画面が表示されたら、左上の 「ファイル」 メニュー、またはポップアップ画面から 「ノートブックを新規作成」 をクリックします。
すると、白紙のノートのような画面が開きます。
これが 「Jupyter Notebook(ジュピター・ノートブック)」 と呼ばれる、私たちのカルテです。
このカルテの凄いところは、「文章(メモ)」と「プログラムコード」と「実行結果(グラフや画像)」を、一つのページにまとめて保存できる点です。研究の試行錯誤を記録するのに、これほど適した形式はありません (Kluyver et al. 2016)。

Step 3: GPUを有効化する(ここが最重要!)
デフォルトの状態では、まだGPUという「強力な助っ人」が待機していません(CPUのみのモードです)。以下の手順で、裏側にいる計算部隊を呼び出します。
- 画面上部のメニューから 「ランタイム」 をクリックします。
- 「ランタイムのタイプを変更」 を選択します。
- 「ハードウェア アクセラレータ」の項目をクリックし、「T4 GPU」(または単にGPU)を選択して、「保存」 をクリックします。
画面右上に「接続中…」→「初期化中…」と表示され、最終的に RAM や ディスク というインジケーターが表示されれば準備完了です。これで、あなたのブラウザの裏側で、スーパーコンピュータ並みの演算装置が起動しました。


3. 【検証】本当に「最強環境」なのか? コードで確認する
環境が整ったことを、実際にPythonのコードを書いて確認してみましょう。
以下のコードブロックには、現在の環境(OS、Pythonのバージョン、GPUの状態)を表示する命令が書かれています。
コードを実行するには、以下のコードをコピーしてノートブックのセル(入力欄)に貼り付け、左側にある「再生ボタン(▶)」を押すだけです。
📋 確認用コード(コピー用)
import sys, platform, torch
print(f"Python: {sys.version.split()[0]}")
if torch.cuda.is_available():
print(f"GPU: ✅ {torch.cuda.get_device_name(0)}")
else:
print("GPU: ⚠️ Inactive")
!nvidia-smi
【実行前の準備:日本語化】
本講座のサンプルコードでは、グラフなどで日本語を正しく表示させるため、あらかじめ日本語フォント対応ライブラリをインストールします。これを行わないと、せっかくのグラフの文字が「□□□(豆腐文字)」になってしまいます。
# 【前処置】日本語表示用ライブラリのインストール
# 先頭の「!」は「Pythonではなくシステムへの命令」を意味します
# 実行後、もし下部に「RESTART RUNTIME」ボタンが出たら押してください
!pip install japanize-matplotlib
準備ができたら、以下の「スペック確認コード」を実行してみましょう。
import sys
import platform
import torch
# 1. Pythonのバージョン確認
# 現在動いているPythonのバージョンを表示します
print(f"Python Version: {sys.version.split()[0]}")
# 2. 割り当てられたGPUの確認
# torch.cuda.is_available() は、AIライブラリ(PyTorch)からGPUが見えているかをチェックします
if torch.cuda.is_available():
# GPUの名前(例: Tesla T4)を取得します
gpu_name = torch.cuda.get_device_name(0)
print(f"GPU Status: ✅ Active ({gpu_name})")
print("--------------------------------------------------")
print("おめでとうございます。あなたのブラウザは現在、")
print(f"高性能AI開発マシン [{gpu_name}] と直結しています。")
else:
# GPUが使えない場合のメッセージ(Step 3を見直してください)
print("GPU Status: ⚠️ Inactive")
print("※ランタイムの設定からGPUを有効にしてください。")
# 3. システム詳細(NVIDIAの管理コマンド)
# GPUの詳細な稼働状況(温度やメモリ使用量)を表示するコマンドです
# 医療で言えば「バイタルサイン・モニター」のような画面が出ます
print("\n[NVIDIA-SMI Output] ------------------------------")
!nvidia-smi
出力の見方
実行結果に GPU Status: ✅ Active (Tesla T4) と表示され、その下に表のようなデータ(NVIDIA-SMIの出力)が出れば大成功です。
Python Version: 3.12.12
GPU Status: ✅ Active (Tesla T4)
--------------------------------------------------
おめでとうございます。あなたのブラウザは現在、
高性能AI開発マシン [Tesla T4] と直結しています。
[NVIDIA-SMI Output] ------------------------------
+-----------------------------------------------------------------------------------------+
| NVIDIA-SMI 550.54.15 Driver Version: 550.54.15 CUDA Version: 12.4 |
|-----------------------------------------+------------------------+----------------------+
| GPU Name Persistence-M | Bus-Id Disp.A | Volatile Uncorr. ECC |
| Fan Temp Perf Pwr:Usage/Cap | Memory-Usage | GPU-Util Compute M. |
| | | MIG M. |
|=========================================+========================+======================|
| 0 Tesla T4 Off | 00000000:00:04.0 Off | 0 |
| N/A 45C P8 10W / 70W | 2MiB / 15360MiB | 0% Default |
| | | N/A |
+-----------------------------------------+------------------------+----------------------+
+-----------------------------------------------------------------------------------------+
| Processes: |
| GPU GI CI PID Type Process name GPU Memory |
| ID ID Usage |
|=========================================================================================|
| No running processes found |
+-----------------------------------------------------------------------------------------+
この表は一見難解に見えますが、恐れる必要はありません。これはGPUの「バイタルサイン(稼働状況)」です。この画面が出たということは、あなたの命令通りに動く数千人の計算部隊(GPUコア)が、整列して待機していることを意味します。あなたはもう、世界最先端のAI研究者と同じ土俵に立っています。
4. まとめ:メスは研がれた。さあ、執刀だ。
これで、「環境構築」という、多くの初学者が最初に直面し、そして最も多くの脱落者を生む「魔のハードル」をクリアしました。
費用は0円、所要時間はわずか3分。
しかし、その成果は甚大です。あなたのブラウザは今、単なるウェブサイトを閲覧するためのウィンドウから、世界最先端の知能を創造するための「実験室(ラボ)」へと進化しました。手元には、Googleが誇るスーパーコンピュータ級の計算能力(GPU)という、切れ味鋭い「メス」が握られています。
道具は揃いました。あとは、使い方を学ぶだけです。
次回(A12)からは、いよいよこの実験室で、Pythonというプログラミング言語を用いて、実際の医療データを操っていきます。
「エクセル(Excel)で十分ではないか?」と思うかもしれません。しかし、数万行を超える電子カルテデータや、ギガバイト単位の画像データを扱うとき、エクセルではフリーズしてしまうような処理を、Pythonは涼しい顔で一瞬にして完了させます。
その圧倒的な処理速度と自由度を体験したとき、あなたはもう二度と、元の世界には戻れなくなるでしょう。
さあ、次のステージへ進みましょう。
参考文献
- Bisong, E. (2019). ‘Google Colaboratory’, in Building Machine Learning and Deep Learning Models on Google Cloud Platform. Apress, Berkeley, CA, pp. 59–64. https://doi.org/10.1007/978-1-4842-4470-8_7
- Carneiro, T. et al. (2018). ‘Performance Analysis of Google Colaboratory as a Tool for Accelerating Deep Learning Applications’, IEEE Access, 6, pp. 61677–61685. https://doi.org/10.1109/ACCESS.2018.2874767
- Kluyver, T. et al. (2016). ‘Jupyter Notebooks-a publishing format for reproducible computational workflows’, in Positioning and Power in Academic Publishing: Players, Agents and Agendas, IOS Press, pp. 87–90. https://doi.org/10.3233/978-1-61499-649-1-87
- LeCun, Y., Bengio, Y. and Hinton, G. (2015). ‘Deep learning’, Nature, 521(7553), pp. 436–444. https://doi.org/10.1038/nature14539
- Bisong, E. (2019). ‘Google Colaboratory’, in Building Machine Learning and Deep Learning Models on Google Cloud Platform. Apress, Berkeley, CA, pp. 59–64. https://doi.org/10.1007/978-1-4842-4470-8_7
- Carneiro, T. et al. (2018). ‘Performance Analysis of Google Colaboratory as a Tool for Accelerating Deep Learning Applications’, IEEE Access, 6, pp. 61677–61685. https://doi.org/10.1109/ACCESS.2018.2874767
- Kluyver, T. et al. (2016). ‘Jupyter Notebooks-a publishing format for reproducible computational workflows’, in Positioning and Power in Academic Publishing: Players, Agents and Agendas, IOS Press, pp. 87–90. https://doi.org/10.3233/978-1-61499-649-1-87
- Carneiro, T. et al. (2018). ‘Performance Analysis of Google Colaboratory as a Tool for Accelerating Deep Learning Applications’, IEEE Access, 6, pp. 61677–61685. https://doi.org/10.1109/ACCESS.2018.2874767
- LeCun, Y., Bengio, Y. and Hinton, G. (2015). ‘Deep learning’, Nature, 521(7553), pp. 436–444. https://doi.org/10.1038/nature14539
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