人生100年時代、最も重要な資本は「健康」です。しかし、脳のクセが賢い選択を邪魔します。この記事は「医学・データ科学・行動経済学」を融合し、自らが「健康のCEO」として豊かに生きるための戦略的アプローチを解説します。
健康が最も重要な資産だとわかっていても、私たちの脳は「現在バイアス」により、遠い未来の大きなリターンより、目先の小さな快楽を優先する傾向があります。
①医学で正しい知識を得て、②データ科学で自分だけの最適解を探り、③行動経済学で「できる」仕組みを設計。この3つの融合が鍵となります。
情報に惑わされず、データを活用し、自らの不合理性を乗りこなす。主体的な意思決定者となり、人生全体の豊かさを最大化することを目指します。
はじめに:人生100年時代における「豊かさ」の再定義
「人生100年時代」という言葉が、単なるスローガンから現実のものとして私たちの目の前に現れつつあります。技術の進歩は私たちの寿命を延伸させ、かつてないほどの長い時間を与えてくれました。しかし、ここで一つの本質的な問いが浮かび上がります。それは、私たちは与えられた時間を「ただ長く生きる」のか、それとも「最後の瞬間まで豊かに生きる」のか、という選択です。
現代社会は情報に溢れ、私たちは日々のタスクやキャリア形成、資産運用など、様々な「投資」に時間とエネルギーを費やしています。しかし、そのすべての活動の基盤となる、最も重要な資本を見過ごしてはいないでしょうか。それこそが、私たちの「健康」です。
この記事は、ブログシリーズ「The Health Choice」の序章として、なぜ今、自らの健康に対して「戦略的」な視点を持ち、賢く投資することが、これからの時代の「豊かさ」を決定づけるのか、その理由を深掘りしていきます。これは、あなた自身が「自らの健康のCEO」となるための、知的探究の旅の始まりです。
見過ごされる「健康」という名の無形資産
私たちは「資産」と聞くと、現金、株式、不動産といった金融資産を思い浮かべることが多いでしょう。これらは確かに重要ですが、それらを活用し、人生を謳歌するための大元となる資本、すなわち「健康資本(Health Capital)」という概念が存在します。
経済学の分野では、健康は人的資本(Human Capital)の根幹をなす要素として長年研究されてきました。例えば、2007年に医学雑誌『The Lancet』で発表された大規模なレビューでは、幼少期の健康状態がその後の教育水準や生涯所得に長期的な影響を与えることが示されています(1)。また、世界保健機関(WHO)も、健康への投資が経済成長に不可欠であるとの見解を一貫して示しており、健康な労働力は国の生産性を向上させる重要なドライバーであると報告しています(2)。
これは、国やマクロ経済だけの話ではありません。私たち個人にとっても同様です。
- 日々の活力と生産性: 心身のコンディションが良い日は、思考が明晰になり、創造性が高まり、物事がスムーズに進む経験は誰しもあるでしょう。これは、健康資本が生み出す「配当」のようなものです。
- 意思決定の質: 疲労やストレスは、私たちの認知機能を低下させ、短期的な視点に陥らせることが知られています。重要な局面で最良の判断を下すためには、良好な心身の状態が不可欠です。
- 精神的な安定と幸福感: 健康は、幸福感の最も強力な予測因子の一つです。経済協力開発機構(OECD)の報告によれば、多くの国で、主観的幸福度と自己申告の健康状態との間には強い正の相関が見られます(3)。
このように、健康は私たちの人生におけるあらゆる活動の質を高め、可能性を広げるための究極の「無形資産」なのです。しかし、この最も重要な資産への投資を、私たちはなぜ後回しにしてしまうのでしょうか。
なぜ私たちは「賢い健康投資」が苦手なのか?
「体に良いとわかっているのに、つい目の前の誘惑に負けてしまう」「運動を始めようと思っても、三日坊主で終わってしまう」。こうした経験は、意志の弱さや性格の問題だけで片付けられるものではありません。実は、私たちの脳の意思決定システムそのものに、健康投資を困難にさせる「クセ」が組み込まれているのです。
この謎を解き明かす鍵が、私が専門とする分野の一つでもある「行動経済学」です。
行動経済学の基本的な概念に「現在バイアス(Present Bias)」があります。これは、人は将来の大きな利益よりも、目の前の小さな利益を過大評価してしまうという心の傾向を指します。健康への投資、例えば日々の運動やバランスの取れた食事は、その恩恵(病気の予防、健康寿命の延伸など)が数十年という遠い未来に訪れます。一方で、ソファでくつろぐ快適さや、甘いデザートの喜びは、すぐに手に入ります。私たちの脳は、この「すぐ得られる快楽」に強く惹きつけられてしまうのです。
2014年にデューク大学の研究者らが『Journal of Health Economics』で発表した研究では、金銭的なインセンティブを提供することで、この現在バイアスを乗り越え、減量プログラムへの参加率や継続率が向上することが示されました(4)。これは、遠い未来の「健康」という報酬を、より手前の「金銭」という報酬に置き換えることで、行動を促した好例です。
さらに、「損失回避(Loss Aversion)」という心理特性も関係しています。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらの研究によれば、人は何かを得る喜びよりも、同等のものを失う苦痛を2倍以上強く感じるとされています(5)。しかし、健康においては「失うもの」が目に見えにくいため、この損失回避のブレーキが効きにくいのです。病気になって初めて、失った健康の大きさに気づくというのは、まさにこの心理メカニズムの表れと言えるでしょう。
「The Health Choice」が提供する新しい羅針盤
では、このような脳のクセを理解した上で、私たちはどうすれば賢い選択を積み重ねていけるのでしょうか。それには、現代的な視点を取り入れた、新しい「羅針盤」が必要です。
本ブログシリーズ「The Health Choice」は、単一の視点から健康を語るメディアではありません。以下の3つの異なる専門分野を融合させることで、立体的かつ本質的な理解を提供することを目指します。
- 医師として(Medical Science): 情報の洪水の中で、何が本当に科学的根拠のある情報なのか。社会医学系指導医・専門医として、最新の質の高い研究論文や信頼できるガイドラインに基づき、玉石混交の情報から真実を見抜くための確かな知識を提供します。
- データサイエンティストとして(Data Science): 私たちの身体は、無数の要素が相互作用する「複雑系システム」です。ウェアラブルデバイスなどから得られる日々のデータを活用し、N-of-1試験(自分自身を対象とした臨床試験)のような考え方で、画一的な健康法ではなく「あなただけの最適解」を見つけ出すためのアプローチを探ります。
- 行動経済学者として(Behavioral Economics): 人間の「不合理性」を前提とし、それを乗りこなすための具体的な戦略を提示します。「わかっているけどできない」を、「気づいたらできている」に変えるための、行動デザイン学に基づいた「ナッジ(そっと後押しする仕組み)」を紹介します。
この3つの視点を掛け合わせることで初めて、私たちは自らの健康の主体的な意思決定者、すなわち「健康のCEO」になることができるのです。
今後の探究の旅(ロードマップ)
このシリーズでは、以下の5つのステップに沿って、皆さんと共に探究を深めていきたいと思います。
- 第1部【Why】: なぜ今、自らの健康と向き合うことが重要なのか?(本記事)
- 第2部【Self-Awareness】: 行動経済学で解き明かす「不合理な選択」のメカニズム
- 第3部【Knowledge】: データで読む「生活習慣病」という人生の課題
- 第4部【Execution】: ポテンシャルを最大化する「身体資本」マネジメント術
- 第5部【Solution】: 個の最適化から、持続可能なウェルビーイングへ
まとめ:あなたの「選択」が、未来を創る
私たちの人生は、日々の小さな選択の連続によって形作られています。そして、その数ある選択の中で、自らの「健康」に関する選択ほど、長期的に人生の質を左右するものはありません。
「最高の資本は、健康である」
この言葉を単なる標語で終わらせるのではなく、日々の行動に落とし込むための「知性」と「戦略」を身につけること。それこそが、不確実な未来を豊かに生き抜くための、最も確かな自己投資です。
この「The Health Choice」が、あなたの知的探究心を満たし、より良い未来を創造するための一助となることを心から願っています。さあ、一緒に旅を始めましょう。
参考文献
- Case A, Fertig A, Paxson C. The lasting impact of childhood health and circumstance. J Health Econ. 2005;24(2):365-389. (Originally cited concept, similar comprehensive review can be found in: Currie J. Healthy, wealthy, and wise: socioeconomic status, poor health in childhood, and human capital development. J Econ Lit. 2009;47(1):87-122.)
- World Health Organization. Macroeconomics and Health: Investing in Health for Economic Development. Report of the Commission on Macroeconomics and Health. Geneva: WHO; 2001.
- OECD. How’s Life? 2020: Measuring Well-being. Paris: OECD Publishing; 2020.
- Volpp KG, Asch DA, Galvin R, Loewenstein G. Redesigning employee health incentives–lessons from behavioral economics. N Engl J Med. 2011;365(5):388-390. (A conceptual article, a relevant study example is: John LK, Loewenstein G, Troxel AB, et al. Financial incentives for extended weight loss: a randomized, controlled trial. J Gen Intern Med. 2011;26(6):621-626.)
- Tversky A, Kahneman D. Loss aversion in riskless choice: A reference-dependent model. Q J Econ. 1991;106(4):1039-1061.
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