煩雑なファイル管理から脱却し、研究開発の再現性と効率を劇的に向上させる「バージョン管理」の基本です。Gitはコードの歴史を記録するタイムマシン、GitHubはその歴史をチームで共有し、共同作業を加速させるためのプラットフォームです。
「final_v3.py」のような混乱を防ぎます。変更を「コミット」で記録し、「ブランチ」で安全に実験。いつでも過去の状態に戻せるため、個人の開発効率が飛躍的に向上します。
Gitの履歴をクラウドで共有するサービス。「プルリクエスト」によるレビューでコードの品質を高め、チーム全員が同じ最新版を元に作業できるため、共同研究がスムーズに進みます。
最も重要な鉄則です。患者情報等の機密データは絶対にGitHubに上げず、院内等のセキュアな環境で管理。コードのみをバージョン管理することで、情報漏洩を防ぎます。
はじめに:そのコード、本当に「最新版」ですか?
医療AIの研究開発にプログラミングは欠かせない強力なツールですが、コードを書き進めていくと、きっと多くの方が一度はこんな経験をしているのではないでしょうか。
- 「昨日まで動いていたはずのコードが、なぜか急にエラーを吐くようになった。どこをどう修正したか思い出せず、途方に暮れる…」
- 「画像の前処理パラメータを少し変えたら、AIモデルの精度がガクッと落ちてしまった。どのパラメータが原因だったか特定して、以前の安定した状態にすぐに戻したい…」
- 「共同研究者とメールでコードを送り合っていたら、『
最終版_修正_ver3_final.py』のようなファイルが大量に生まれ、どれが本当に正しいバージョンなのか誰にも分からなくなってしまった…」
心当たりがある方も多いかもしれませんね。この状況、まるで論文の改訂を重ねるうちに、「論文_最終版.docx」「論文_最終版_修正_ver2.docx」「論文_〇〇先生確認後.docx」といったファイルがデスクトップに溢れかえり、どれが本当の最終稿かわからなくなる、あの状況とそっくりです。
皆さんの日々の診療においても、カルテの変更履歴が「いつ、誰が、どのような意図で」記載・修正したかを明確に記録しているからこそ、安全で質の高い医療が成り立っていますよね。プログラミングの世界でも、この「変更履歴」が、研究の質と安全性を担保する、まさに命綱となるのです。
バージョン管理という考え方がないと、私たちの作業フォルダは、残念ながら次のようなカオスに陥りがちです。
[ medical_ai_project/ ]
├── a_model_train_v1.py
├── b_model_train_v2_bugfix.py
├── c_model_train_v3_final.py
├── d_model_train_v3_final_backup.py <-- (一体どれが本当の最終版…?)
├── e_model_train_for_paper.py <-- (論文投稿に使ったのはこれのはず…)
├── data/
└── results/
この図は、ファイル名でバージョンを管理しようとした結果、どのファイルが何のためのもので、どのような変更が加えられたのか、作った本人でさえ分からなくなってしまった典型的な例です。これでは、研究の再現性を担保することは非常に困難ですし、共同研究を進める上での混乱は避けられません。
こうした混沌とした状況を救い、開発プロセスに秩序と再現性をもたらすために生まれたのが、「バージョン管理システム(Version Control System, VCS)」です。そして、数あるVCSの中でも、現在、学術界から産業界まで、世界中の開発現場で圧倒的な標準となっているのが「Git(ギット)」なのです。
Gitを使うと、先ほどのカオスなファイル管理は、以下のような非常にクリーンな「歴史のタイムライン」として管理できるようになります。
この図が示しているように、ファイル名は常にmodel_train.pyのままですが、Gitの内部では「コミット(Commit)」という単位で、変更内容とその説明(コミットメッセージ)が一つひとつ記録されています。これなら、「あの時の安定した状態に戻りたい」と思えばいつでも特定のコミット時点にタイムスリップできますし、「どんな変更を加えたんだっけ?」と後から履歴を正確に追跡することも簡単です。
このように、Gitは個人の開発を効率化するだけでなく、チームでの共同研究においても絶大な威力を発揮します。本記事では、この強力な味方であるGitと、それをオンラインでさらに便利に使うためのウェブサービス「GitHub(ギットハブ)」の導入から基本的な使い方まで、医療AI開発の現場をイメージしながら、一歩一歩丁寧に解説していきます。さあ、一緒にバージョン管理の世界へ足を踏み入れてみましょう。
Gitとは?- コードの歴史をすべて記録するタイムマシン
Gitとは何か。一言で言うなら、それは「ソースコードの変更履歴を記録・追跡するためのツール」です。これを導入することで、まるで時間を遡るタイムマシンのように、あなたのコードを「あの時」の状態にいつでも正確に戻すことができます。あるいは、ゲームのセーブポイントのように、好きな時点で「スナップショット」を撮っておける、と考えると分かりやすいかもしれません。
さらに、Gitは「分散型バージョン管理システム」という特徴を持っています。これは少し専門的に聞こえるかもしれませんが、非常に重要な概念です。昔のシステムでは、変更履歴はすべて中央のサーバー1台に集約されていました(中央集権型)。もしそのサーバーが故障すれば、全員が作業不能になり、最悪の場合、全ての履歴が失われるリスクがありました。
それに対して「分散型」であるGitは、プロジェクトの完全な変更履歴(リポジトリ)のコピーを、各研究者のPCにそれぞれ保存します。これは、共同研究において、中央のデータサーバー(後で登場するGitHubがこれにあたります)の完全なバックアップを、メンバー全員が持っているようなイメージです。
この図が示すように、分散型では各PCが「完全な履歴のコピー」を持っています。このおかげで、ネットワークに繋がっていないオフライン環境でも、過去の履歴を遡ったり、自分の変更を記録したりといった作業が可能です。そして何より、もし中央のサーバーに何かあっても、誰かのPCにあるコピーから完全に復元できるという、非常に高い耐障害性を実現しています。この堅牢さが、現代の開発においてGitが選ばれる大きな理由の一つです。
さて、Gitを使いこなすには、いくつかの重要なキーワードを理解する必要があります。なんだか難しそうに聞こえるかもしれませんが、ご安心ください。一つひとつを医療現場や研究活動に置き換えてイメージすれば、すんなり理解できるはずです。
Git & GitHub ワークフロー・シミュレータ
煩雑なファイル管理から、再現性と効率の高い共同研究へ。Gitの基本操作をインタラクティブに体験し、バージョン管理の本質を掴みましょう。
コードの変更履歴を「コミット」として全て記録。いつでも過去の状態に戻せるため、個人の開発効率が飛躍的に向上します。
Gitの履歴をクラウドで共有。「プルリクエスト」でコードレビューを行い、チーム全体の品質と共同作業を加速させます。
患者情報などの機密データは絶対にGitHubに上げず、セキュアな環境で管理。コードとデータを完全分離し、情報漏洩を防ぎます。
Gitを構成する4つの重要コンセプト
Gitの基本的な操作は、主に以下の4つのコンセプトで成り立っています。これらは一連のストーリーとして繋がっています。
1. リポジトリ (Repository):すべての記録を収める「保管庫」
リポジトリとは、あなたのプロジェクトに関するあらゆる情報、つまりソースコード、データ、そして「全ての変更履歴」をまとめて保管しておくための「保管庫」です。これは単なる作業フォルダというだけではなく、そのフォルダ内に作られる「.git」という隠しディレクトリに、過去から現在に至るまでの全ての歴史が記録されています。研究室のカルテ庫のように、全ての記録が体系的に整理されている場所だと考えてください。
2. コミット (Commit):変更内容を記録する「スナップショット」
コミットとは、ファイルの追加や変更を、リポジトリに一つの「意味のあるまとまり」として記録する操作です。これが、先ほど述べたセーブポイントやスナップショットにあたります。重要なのは、ただファイルを保存するのではなく、「なぜこの変更を行ったのか」を説明するコミットメッセージを必ず添える点です。
これは、カルテ記載におけるSOAPのA (Assessment) やP (Plan) に非常によく似ています。「〇〇のバグを修正」「××の機能を追加」といったメッセージを残すことで、数ヶ月後に自分が見返したときや、共同研究者が履歴を見たときに、変更の意図が一目瞭然となります。良いコミットは、未来の自分や仲間への最高の「申し送り」になるのです。
3. ブランチ (Branch):本流に影響を与えない「実験室」
ブランチ(枝分かれ)は、Gitが持つ最も強力で便利な機能の一つかもしれません。これは、プロジェクトの歴史の本流から分岐して、独立した作業を行うための仕組みです。
例えば、現在安定して動いているAIモデル(これをmainブランチと呼びます)があるとします。ここで、「新しい画像前処理アルゴリズムを試してみたい。でも、今の安定したコードを壊すのは怖い…」と感じたとしましょう。
そんな時、mainブランチから「image-preprocessing-test」のような名前で新しいブランチを作成します。すると、元のコードとは完全に隔離された、安全な「実験室」が手に入ります。このブランチ内では、どんなに大胆な変更を加えても、本流であるmainブランチには一切影響がありません。心ゆくまで新しいアイデアを試すことができるのです。
4. マージ (Merge):実験の成果を本流に「統合」する
ブランチという実験室での試行錯誤がうまくいき、「この新機能は素晴らしい!」と確信が持てたら、その成果を本流に反映させたくなりますよね。そのための操作がマージ(統合)です。
先ほどの例で言えば、「image-preprocessing-test」ブランチでの変更を、mainブランチに合流させます。これにより、安全に検証された新機能が、正式なプロジェクトのコードとして取り込まれるわけです。
この「ブランチで分けて、マージで統合する」という流れを図にすると、以下のようになります。
このように、Gitは「リポジトリ」という保管庫の中で、「コミット」という単位で歴史を刻みながら、「ブランチ」で安全に実験し、成功したものを「マージ」で統合する、という非常に合理的で安全な開発サイクルを提供してくれます。これが、Gitの基本的な考え方の全体像です。
GitHubとは?- Gitをチームで使うための強力なプラットフォーム
共同研究を加速させるクラウド上の拠点
さて、先ほどは皆さんのPC上で動くバージョン管理ツール「Git」について学びました。Gitだけでも個人の開発効率は劇的に向上しますが、その真価はチームで使ってこそ発揮されます。そこで登場するのが「GitHub(ギットハブ)」です。
もしGitがバージョン管理を行う「ツール」そのものであるとすれば、GitHubはGitで作った成果物をインターネット上で安全に保管・共有し、共同作業を円滑に進めるための「ウェブサービス」です。この関係、どう捉えたら分かりやすいでしょうか。身近な例で考えてみましょう。
GitとGitHubのシンプルな関係
この二つの関係は、文書作成ソフトとそのオンライン共有サービスに例えると、とてもしっくりくると思います。
| 役割 | 具体例 | |
|---|---|---|
| Git | ローカルPCで動く「道具・ソフトウェア」 | Microsoft WordやApple Pagesのように、PC上でファイルを作成・編集・変更履歴を管理する。 |
| GitHub | オンライン上の「場所・プラットフォーム」 | Google DriveやDropboxのように、作成したファイルをオンラインで保存・共有し、他の人と共同で編集・レビューする。 |
つまり、私たちはまず自分のPC(ローカル環境)でGitという道具を使ってコードを書き、変更を記録(コミット)します。そして、その成果をGitHubというオンライン上の場所にアップロード(プッシュ)することで、自分以外の共同研究者とその成果を共有できる、というわけです。もちろん、個人の研究であっても、PCの故障や紛失に備えたバックアップ先として、GitHubは極めて重要な役割を果たします。
GitHubがもたらす共同研究の変革
GitHubは単なるファイルの置き場所ではありません。多施設共同研究のような複雑なプロジェクトを、驚くほどスムーズに進めるための様々な機能が組み込まれています。ここでは特に重要な2つのコンセプトをご紹介します。
リモートリポジトリ:チームの「正典」となる場所
GitHub上に作成されたリポジトリのことを、自分のPCにある「ローカルリポジトリ」と対比して、「リモートリポジトリ」と呼びます。ここが、チーム全員の作業の基準点、いわばプロジェクトの「正典(Single Source of Truth)」が置かれる場所になります。
チームメンバーは、まずこのリモートリポジトリを自分のPCに複製(クローン)してきます。そして、各自がローカルで作業を進め、完成した変更をリモートリポジトリに送信(プッシュ)します。また、他のメンバーがプッシュした最新の変更を、自分のローカルリポジトリに取り込む(プル)こともできます。
この仕組みのおかげで、「最新版のコードはどれだっけ?」という混乱はもう起こりません。常にGitHub上にあるものが「正」となり、全員がそこを基準に作業を進めることができるのです。
プルリクエスト:コードの品質を守る「ピアレビュー」文化
さて、ここからがGitHubの真骨頂です。もし、誰もが自由にリモートリポジトリのmainブランチ(本流)を書き換えられるとしたら、どうなるでしょうか?誰かが意図せずバグのあるコードを混ぜてしまい、プロジェクト全体が動かなくなる、といった大事故が起こりかねませんよね。
そこでGitHubには「プルリクエスト (Pull Request, PR)」という、素晴らしい仕組みが用意されています。これは、自分の行った変更をmainブランチにマージしてもらう前に、「このような変更を加えたのですが、内容を確認(レビュー)して、問題がなければ取り込んでください」とチームに依頼を出す機能です。
このプロセスは、皆さんが日常的に行っている医療現場のプラクティスに驚くほど似ています。
- 論文の査読(ピアレビュー):第三者の専門家が内容を厳しくチェックし、科学的な妥当性を担保する。
- 処方箋のダブルチェック:薬剤師が複数人で確認し、投薬ミスを防ぐ。
- 症例カンファレンス:複数の医師で議論し、最善の治療方針を決定する。
プルリクエストは、まさにプログラミングにおけるピアレビューです。他のメンバーがコードを一行ずつチェックし、「ここのロジックはもっとこうした方が良いのでは?」「この変数名は分かりにくい」といったコメントを付け合います。このレビュープロセスを通じて、バグを未然に防ぎ、コードの品質を高め、さらにはチーム全体の知識やスキルを向上させることができるのです。
このように、GitHubは単なるファイル置き場ではなく、安全で質の高い共同研究を実現するためのコミュニケーションハブであり、品質管理システムでもあるのです。この文化を導入することが、あなたの医療AI研究をより堅牢で、再現性の高いものへと導いてくれるはずです。
医療AI開発におけるGit/GitHubの真価
ここまで、GitとGitHubの基本的な仕組みについて見てきました。これらは単に便利なツールというだけではありません。医療AIという、極めて高い信頼性と安全性が求められる分野において、研究開発の「質」そのものを根底から支える、いわば研究基盤(インフラ)なのです。ここでは、Git/GitHubを導入することが、皆さんの研究に具体的にどのような計り知れないメリットをもたらすのか、特に重要な4つの側面に焦点を当てて深掘りしていきましょう。
1. 科学的信頼性の根幹:研究の再現性を担保する
科学研究の成果が信頼されるための最も重要な条件は、何でしょうか?それは「再現性」、つまり第三者が同じ条件で実験すれば同じ結果が得られることです。医療AIの研究論文を発表する際、手法や数式を記述するだけでは不十分です。その結果を導き出した「プログラムコード」そのものが、再現性を担保する上で決定的な役割を果たします。
実際、トップジャーナルであるNature誌でも「あなたのコンピュータコードを公開しよう。それは十分に価値がある」という論説が掲載されるなど、コードの公開は今や科学的誠実さの証と見なされています(1)。
GitとGitHubを使えば、この再現性の確保が驚くほど簡単かつ厳密になります。論文を投稿する際、Methods(方法)の章に、単に「AIモデルを開発した」と書くのではなく、
「本研究で用いた解析コードは、すべて以下のGitHubリポジトリで公開している (https://github.com/YourUsername/your-project)。論文中の結果は、コミットID: a1b2c3d4e5f6... のバージョンで再現可能である。」
と一行書き加えるだけです。この「コミットID」とは、Gitが各コミット(変更の記録)に自動で割り振る、世界で一つだけの固有の識別番号です。これを明記することで、未来の研究者は誰でも、論文が書かれたその瞬間のコードと全く同じものを、寸分の違いなく手に入れることができます。これにより、あなたの研究の透明性と信頼性は飛躍的に向上するのです。
2. 場所と時間を超える連携:共同研究を加速する
多施設共同研究や、研究室内のチームで開発を進めていると、必ずと言っていいほど「誰が」「いつ」「どのファイルを」更新したのか分からなくなる問題に直面します。メールにコードを添付して送り合う方法は、バージョン違いや修正の反映漏れ(先祖返り)といった悪夢のような混乱を引き起こす原因となりがちです。
GitHubは、このような混乱に終止符を打ちます。リモートリポジトリが「唯一の信頼できる情報源 (Single Source of Truth)」として機能することで、地理的に離れた場所にいるメンバーも、異なる時間に作業するメンバーも、常に最新かつ公式なコードを基準に開発を進めることができます。誰かが行った変更はすべて履歴として記録され、チーム全員がそれを共有できるため、「あの変更、どうなった?」といった不毛な確認作業はなくなります。これにより、チームは本来集中すべき研究開発そのものに、より多くの時間を割けるようになります。
3. 集合知による改善:コードの品質とチーム力を高める
先ほど紹介した「プルリクエスト」を通じたコードレビューの文化は、単にバグを発見する以上の価値をもたらします。
- 知識の伝承と標準化: 経験豊富な研究者が初学者のコードをレビューすることで、実践的なプログラミング技術や、その研究室独自のコーディング作法が自然に伝承されます。これにより、チーム全体のスキルが底上げされ、コードの品質が標準化されていきます。
- 脱・属人化: 特定の人しか分からない「秘伝のタレ」のようなコードは、その人が異動や退職した途端に誰も触れない「ブラックボックス」と化します。コードレビューを日常的に行うことで、複数のメンバーがコードの内容を理解するようになり、このような属人化のリスクを大幅に減らすことができます。
これは、医療現場における症例カンファレンスと全く同じです。様々な視点から議論を交わすことで、より良い結論(=品質の高いコード)にたどり着き、同時に参加者全員の学びにも繋がるのです。優れたコードレビューの議論の歴史は、それ自体が最高のドキュメントになると言っても過言ではありません。
4. 【最重要】技術者の宣誓:患者情報を守るための鉄則
Git/GitHubは強力なツールですが、その力を振るう前に、私たちはヒポクラテスの誓いにある「まず、害をなすなかれ (First, do no harm)」という、医療に携わる者としての大原則を、技術者としても心に刻まなければなりません。
なぜGitHubに個人情報を上げてはいけないのか?
GitHubの公開(Public)リポジトリは、文字通り「全世界に公開されるインターネット上の掲示板」です。ここに一度でも個人情報やそれに準ずる情報をアップロード(プッシュ)してしまうと、悪意のある攻撃者によって瞬時に収集される可能性があります。さらに、Gitの仕組み上、後から履歴を削除したとしても、過去のバージョンにその情報が残り続けるため、完全に消去するのは極めて困難です。ひとつの過ちが、取り返しのつかない情報漏洩事故につながりかねません。
絶対にコミットしてはならない情報リスト
以下の情報は、いかなる理由があってもGitの管理対象に含め、GitHubにプッシュしてはいけません。常にセルフチェックする習慣をつけましょう。
- 氏名、患者ID、住所、生年月日、電話番号などの直接的な個人識別情報
- 珍しい疾患や、詳細な既往歴など、他の情報と組み合わせることで個人が特定されうる臨床情報
- 匿名化処理が施されていない、あるいは不十分な医療画像(DICOM画像などには、ヘッダ情報に個人情報が含まれていることがあります)
- 患者情報が含まれる可能性のあるデータファイル(CSV, Excel, etc.)
- データベースや外部サービスへのアクセスキー、パスワード、APIトークンといった認証情報
鉄壁のルール:コードとデータの完全分離
では、どうすれば安全に研究開発を進められるのか。答えはシンプルです。「コードとデータの完全分離」を徹底することです。
この図のように、患者さん由来のデータは、必ず施設の倫理審査委員会や情報セキュリティ部門が承認した、院内のセキュアなサーバーに保管・管理してください。そして、皆さんのPCではそのセキュアなデータにアクセスしつつ、AIモデルのプログラムコードだけをGitでバージョン管理し、GitHubにプッシュするのです。この「コードとデータの分離」は、医療AI開発における倫理的・法的な生命線です。
これらのルールを破ることは、個人情報保護法などの法律に抵触するだけでなく、何よりも研究に協力してくださった患者さんからの信頼を根底から裏切る行為です。便利なツールの使い方を覚える前に、まずこの大原則を決しておろそかにしないと誓ってください。
実践!Gitを使ってみよう(ハンズオン)
さあ、理論はここまでにして、いよいよ実際に手を動かしてGitを体験してみましょう! ここからは、皆さんのPCにGitをインストールし、最初のバージョン管理プロジェクトを作成して、初めての「記録(コミット)」を残すまでを、一歩ずつ丁寧にご案内します。
コマンド入力と聞くと少し身構えてしまうかもしれませんが、ご安心ください。一つひとつのコマンドが「何をしているのか」をイメージしながら進めれば、決して難しいことはありません。コピー&ペーストで実行できるので、気楽に挑戦してみましょう。
「実践!Gitを使ってみよう」シミュレータ
Step 1: Gitのインストール 〜 タイムマシンをPCに設置する
まずは、Gitというソフトウェア自体を、お使いのPCにインストールする必要があります。OSによって手順が少し異なります。
Windowsの場合
- Git for Windowsの公式サイトにアクセスし、インストーラーをダウンロードします。
- ダウンロードしたインストーラーを起動し、画面の指示に従ってインストールを進めてください。途中でたくさんの設定項目が出てきますが、最初はすべてデフォルト(初期設定)のままで大丈夫です。よく分からないまま「Next」を連打してしまって問題ありません。
- インストールが完了すると、「Git Bash」というターミナル(黒い画面のコマンド入力ツール)が使えるようになります。今後の作業はこれを使っていきます。
Macの場合
Macの場合は、既にインストールされていることが多いです。まずは確認してみましょう。
- 「ターミナル」アプリを起動します。(見つからない場合は、Launchpadで「terminal」と検索するか、「アプリケーション」フォルダ内の「ユーティリティ」フォルダを探してみてください。)
- ターミナルで、以下のコマンドを入力してEnterキーを押します。
# gitのバージョン情報を表示するコマンド git --version git version 2.x.xのようにバージョンが表示された場合: おめでとうございます!Gitは既にインストールされています。このステップは完了です。- コマンドが見つからない、または開発者ツールのインストールを促すポップアップが表示された場合: ポップアップの指示に従って「インストール」をクリックしてください。macOS標準の開発ツールと一緒にGitがインストールされます。
【補足】Homebrewを使ったインストール(Mac)
より新しいバージョンのGitを使いたい場合や、今後他の開発ツールも管理したい場合は、「Homebrew」というパッケージ管理ツールを使ってインストールするのがおすすめです。Homebrewは、様々なソフトウェアの導入や管理を簡単にしてくれる、Macユーザーにとって非常に便利な道具です。
# Homebrewがまだ入っていない場合、この一行でインストールできます
/bin/bash -c "$(curl -fsSL https://raw.githubusercontent.com/Homebrew/install/HEAD/install.sh)"
# Homebrewを使ってGitをインストールします
brew install git
インストールの確認
インストールが完了したら、ターミナル(Windowsの場合はGit Bash)で再度 git --version を実行し、バージョン情報(例: git version 2.44.0)が表示されることを確認してください。これが表示されれば、あなたのPCにGitという強力なツールが正しくセットアップされた証です。
Step 2: 初期設定 〜 あなたの「署名」を登録する
次に、Gitにあなたの情報を登録します。これは、これから作成する全てのコミット(変更記録)に、「誰がこの変更を行ったのか」という情報を「署名」として残すために非常に重要です。カルテに医師が署名するのと同じだと考えてください。
ターミナルで、以下の2つのコマンドを一行ずつ実行してください。"Your Name"と"your.email@example.com"の部分は、ご自身の氏名とメールアドレスに書き換えてください。後ほど作成するGitHubアカウントの情報と合わせておくと、連携がスムーズになります。
# あなたの氏名をGitに登録します。ダブルクォーテーションで囲むのを忘れないでください。
# 例: git config --global user.name "Taro Yamada"
git config --global user.name "Your Name"
# あなたのメールアドレスをGitに登録します。
# 例: git config --global user.email "taro.yamada@hospital.ac.jp"
git config --global user.email "your.email@example.com"
--global オプションは、「このPC上の全てのGitプロジェクトでこの設定を使いますよ」というおまじないです。一度設定すれば、PCを買い替えるまで再設定は不要です。
Step 3: 初めてのリポジトリ作成とコミット 〜 最初の歴史を刻む
いよいよ、あなたのPC上に最初のバージョン管理プロジェクト(ローカルリポジトリ)を作成し、最初の変更を記録(コミット)してみましょう。ここでの一連の流れは、今後のGit操作の基本となります。
1. 作業フォルダの作成と移動
まずは、プロジェクト用の新しいフォルダを作成し、その中に移動します。
# "medical-ai-project" という名前のフォルダ(ディレクトリ)を作成します
mkdir medical-ai-project
# 作成したフォルダの中に移動します
cd medical-ai-project
2. Gitリポジトリの初期化
次に、この「ただのフォルダ」を、Gitが監視する「特別な保管庫(リポジトリ)」に変える魔法の呪文を唱えます。
# 現在いるフォルダをGitリポジトリとして初期化する
git init
実行すると「Initialized empty Git repository in …」のようなメッセージが表示されます。これで、このフォルダ内に .git という隠しフォルダが作成され、Gitが変更履歴を記録する準備が整いました。
3. ファイルの作成
何か記録する対象がなければ始まりませんね。プロジェクトの説明を書くための README.md というファイルを作成してみましょう。(.mdはMarkdownという書式のファイルであることを示す拡張子です)
# "My Medical AI Project" という見出しをREADME.mdファイルに書き込む
echo "# My Medical AI Project" > README.md
4. 状態の確認(超重要!)
ここで、そして初学者の皆さんにこそ覚えてほしい最重要コマンドが登場します。それが git status です。これは、リポジトリの現在の状態を教えてくれる「健康診断」のようなコマンドです。迷ったら、まずこれを実行する癖をつけましょう。
# リポジトリの現在の状態を表示する
git status
すると、おそらく「Untracked files: (追跡されていないファイル)」というセクションに README.md が赤色で表示されるはずです。これはGitが「おや、新しいファイルができたみたいだけど、これはまだ私の管理対象(バージョン管理の歴史)に加えるべきファイルかな?」と尋ねてきている状態です。
5. ステージング:記録する変更を選ぶ
Gitに「このファイルの変更を次の記録に含めてください」とお願いする操作が git add です。これは、コミットという「記念写真」を撮る前に、「写真に写す人」を選ぶ作業に似ています。この「選ばれた」状態を「ステージングエリアに上げる」と言います。
# README.md ファイルをステージングエリアに追加する
git add README.md
もう一度 git status を実行してみてください。今度は「Changes to be committed: (コミットされるべき変更)」というセクションに README.md が緑色で表示されているはずです。これで記念写真を撮る準備ができました。
6. コミット:変更をメッセージ付きで記録する
いよいよ、最初の歴史を刻みます。git commit コマンドで、ステージングエリアにある変更をリポジトリに正式に記録します。このとき、-m オプションで「どのような変更だったか」を説明するコミットメッセージを必ず付けます。このメッセージが、未来の自分や仲間への何よりの手紙になります。
# "-m" はメッセージ(message)の略。メッセージを付けてコミットする。
git commit -m "最初のコミット: プロジェクトのREADMEファイルを追加"
7. 履歴の確認
最後に、ちゃんと記録されたか確認してみましょう。git log コマンドを使うと、これまでのコミット履歴を一覧で表示できます。
# コミットログ(履歴)を表示する
git log
先ほどコミットした内容(コミットID、作成者、日時、メッセージ)が表示されたら、大成功です!
おめでとうございます! これで、あなたのPC上にGitでバージョン管理された、記念すべき最初のプロジェクトが誕生しました。いつでもこの「最初のコミット」の状態に戻れるタイムマシンが、今、あなたの手の中にあります。
実践!GitHubと連携しよう(ハンズオン)
さて、先ほどのステップで、あなたのPC(ローカル環境)にはGitという強力なタイムマシンが設置されました。しかし、このままではそのPCが壊れたり、紛失したりすると、せっかく記録した歴史も全て失われてしまいます。そこで、次はこのローカルのプロジェクトを、クラウド上の安全な拠点であるGitHub上にアップロードし、どこからでもアクセスできるように連携させていきましょう。これが、安全なバックアップと、未来の共同研究への第一歩となります。
「実践!GitHubと連携しよう」シミュレータ
Step 1: GitHubアカウントの作成 〜 クラウド上の研究拠点を作る
まずは、GitHub上にあなた専用のアカウントを作成します。これが、あなたのオンライン上での研究拠点になります。
- GitHubの公式サイトにアクセスします。
- 画面の指示に従い、ユーザー名、メールアドレス、パスワードなどを設定してアカウントを作成してください。ユーザー名は後から変更しにくいので、研究活動で使うことを意識した、長すぎず分かりやすい名前を選ぶのがおすすめです。
- 登録したメールアドレスに確認メールが届きますので、必ずメール内のリンクをクリックして認証を完了させておきましょう。
Step 2: リモートリポジトリの作成 〜 オンライン上の保管庫を用意する
アカウントが作成できたら、次にGitHub上に、先ほどローカルで作ったプロジェクトを保管するための「リモートリポジトリ」を作成します。これは、クラウド上に作る、プロジェクト専用の金庫のようなものです。
- GitHubにログインした状態で、画面右上の「+」アイコンをクリックし、「New repository」を選択します。
- 「Repository name」の欄には、ローカルで作成したフォルダと同じ
medical-ai-projectと入力しましょう。こうすると、後から混乱しにくくなります。 - 【最重要】公開設定を選択します。
- Public(公開): 世界中の誰もがこのリポジトリのコードを閲覧できます。
- Private(非公開): あなたが招待した共同研究者だけが閲覧・編集できます。
- 他の項目は今はそのままで大丈夫です。「Create repository」ボタンをクリックします。
これで、GitHub上に空のリモートリポジトリが作成されました。画面には「Quick setup」として、次に何をすれば良いかのコマンドが表示されているはずです。
Step 3: ローカルとリモートの「絆」を結ぶ
次に、あなたのPCにあるローカルリポジトリと、今作ったばかりのGitHub上のリモートリポジトリを紐付けます。「私のPCのこのプロジェクトの保管先は、GitHubのあの場所ですよ」と教えてあげるイメージです。
ターミナル(Git Bash)を開き、先ほど作業していた medical-ai-project フォルダ内にいることを確認してください。そして、GitHubの画面に表示されている「…or push an existing repository from the command line」というセクションにあるコマンドを2つ実行します。
1. リモートリポジトリの「住所」を登録する
最初のコマンドは、リモートリポジトリの場所を「origin」というニックネームで登録するものです。
# リモートリポジトリのURLを "origin" という名前で登録する
# URLの部分は、必ずあなた自身のGitHub画面に表示されているものにコピー&ペーストで置き換えてください!
git remote add origin https://github.com/YourUsername/medical-ai-project.git
originは「起源」や「故郷」といった意味で、リモートリポジトリのニックネームとして慣習的に使われる名前です。このコマンドで、あなたのローカルリポジトリは「故郷の住所」を覚えました。
2. ブランチ名を「main」に設定する
次に、現在の作業ブランチ(本流)の名前を、現代の標準である「main」に明確にしておきます。
# 現在のブランチ名を "main" に変更(または設定)する
git branch -M main
これで、ローカルとリモートを繋ぐ準備が整いました。
Step 4: プッシュ! 〜 ローカルの歴史をクラウドへ送信
いよいよクライマックスです。ローカルリポジトリに記録した変更履歴(コミット)を、GitHub上のリモートリポジトリにアップロード(送信)します。この操作を「プッシュ(Push)」と呼びます。
ターミナルで以下のコマンドを実行してください。
# ローカルの "main" ブランチの内容を、リモートの "origin" にある "main" ブランチにプッシュする
# -u オプションは、次回から宛先を省略して `git push` だけで済むようにする便利なおまじない
git push -u origin main
初めてGitHubに接続する場合、ユーザー名とパスワード(またはアクセストークン)の入力を求められることがあります。画面の指示に従って認証してください。
プッシュが成功したら、ブラウザであなたのGitHubリポジトリのページを再読み込み(リロード)してみてください。どうでしょうか?先ほどローカルで作成した README.md ファイルが、GitHub上に表示されているはずです!
おめでとうございます! これであなたのコードは、PCが壊れても安心なクラウド上の安全な場所に保管されました。そして、世界中のどこからでも(あなただけが)アクセスできるようになったのです。
練習問題と次のステップ
お疲れ様でした。これであなたもGit/GitHubユーザーの仲間入りです。
練習問題:
- ローカルの
README.mdファイルに、あなたの簡単な自己紹介やプロジェクトの目標などを追記して保存してください。 git addとgit commitを使って、その変更をローカルリポジトリに記録してみましょう。コミットメッセージは「プロフィール情報を追加」などにします。git pushコマンドで、変更をGitHubに反映させてみましょう。
次のステップ:
Git/GitHubの世界は非常に奥が深いです。今日学んだのは、その第一歩にすぎません。次は、チーム開発で必須となる「ブランチの作成とマージ」「プルリクエストの作成とレビュー」といった、より実践的な使い方を学んでいきましょう。
また、コマンドライン操作が苦手な方は、「SourceTree」や「GitHub Desktop」といったGUIツールを使うと、視覚的にGitを操作できて便利です。
まとめ
本記事では、バージョン管理ツールGitと、そのプラットフォームであるGitHubの基本的な概念と操作方法について解説しました。
- Gitは、コードの変更履歴を管理する「タイムマシン」のようなツールです。
- GitHubは、Gitリポジトリをオンラインで共有し、チーム開発を円滑にするためのサービスです。
- 医療AI開発において、これらは研究の再現性担保、共同研究の効率化、コードの品質向上に不可欠です。
- 最も重要なことは、患者情報や個人情報を絶対にGitHubにアップロードしないという倫理的・法的規律を遵守することです。
バージョン管理は、単なる便利なツールではなく、安全で再現性の高い研究開発を行うための現代的な「作法」です。ぜひこのスキルを習得し、あなたの医療AI研究を次のレベルへと進めてください。
参考文献
- Barnes N. Publish your computer code: it is good enough. Nature. 2010;467(7317):753.
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